2016年9月3日土曜日

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「ゾシマ長老」は「フョードル」に対して、嘘をつかぬというのは、おのれに嘘をつかぬということだと説明します。

「肝心なのは、おのれに嘘をつかぬことです。おのれに嘘をつき、おのれの嘘に耳を傾ける者は、ついには自分の内にも、周囲にも、いかなる真実も見分けがつかなくなって、ひいては自分をも他人をも軽蔑するようになるのです。だれをも尊敬できなくなれば、人は愛することをやめ、愛を持たぬまま、心を晴らし、気をまぎらすために、情欲や卑しい楽しみにふけるようになり、ついにはその罪業たるや畜生道にまで堕ちるにいたるのです。」

そして、「これもすべて、人々や自分自身に対する絶え間ない嘘から生ずるのですぞ。」と。

続けて「ゾシマ長老」は、「おのれに嘘をつくものは、腹を立てるのもだれより早い、なにしろ、腹を立てるということは、時によると非常に気持ちのよいものですから、ではありませんか?なぜなら本人は、だれも自分を侮辱した者などなく、自分で勝手に侮辱をこしらえあげ、体裁をととのえるために嘘をついたのだ、一つのシーンを作りだすためにおおげさに誇張して、言葉尻をとらえ、針小棒大に騒ぎたてたのだ、ということを承知しているからです。それを自分で承知しておりながら、やはり真っ先に腹を立てる。腹を立てているうちに、それが楽しみになり、大きな満足感となって、ほかならぬそのことによって、しまいには本当の敵意になってゆくのです・・・」

以上、「ゾシマ長老」の話は、たいへん重要なことを語っていると思うのですが、「フョードル」の言動を目の当たりにして、直接それを批判しているようにみえます。

「おのれに嘘をつかぬ」ということは、よく言われることですが、「おのれ」の正体が自分自身で、はっきりとつかめぬうえに、「嘘」と「本当=真実」と境界が不明瞭ですから、この言葉を感性的に理解することは、難しいと思います。

ただ、態度として、また、方向性として、自分に嘘をつかないということを保持するべきだと言うのは理解できそうです。

ここで言う「嘘をつく」は、いわゆるだますこととは、ニュアンスが少し違っています。

「人々や自分自身に対する絶え間ない嘘」とは、性向としてその人に身についた態度のことを言っているように思います。

「おのれに嘘をつくものは、腹を立てるのもだれより早い」の部分はよくわかりません。

一般的には怒りは感情的なものですが、その裏には「おのれに嘘をつく」ということが存在しているのでしょうか。

「ゾシマ長老」がここまで、言った時に、「フョードル」は席を立ったようです。

長老は、「お掛けなさい」とたしなめています。


そして、「・・・それもやはり、すべて偽りの行為でしょうが・・・」と厳しい発言をしています。


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