書かれていませんが、「フョードル」は「ゾシマ長老」に言われて、ふたたび椅子に腰を下ろしたのでしょう。
そして、今度は跳ね起きて「聖者さま!そのお手に接吻させてくださいまし」と言って、長老の痩せた手にすばやく接吻しました。
「フョードル」は、「まさしく腹を立てるのは楽しいものです。実にうまいことをおっしゃる。今まできいたことがないほどです。」と「ゾシマ長老」の言葉をほめていますが、次に続く発言を聞くと、本当のことをずばりと指摘されて内心は穏やかではなかったのかもしれません。
彼は、自分はこれまでの一生、楽しくなるほど腹を立てつづけてきました、それは美学のために腹を立てていたのであって、つまり、腹を立てるということは楽しいだけじゃなく、格好いいもので、「長老さま、あなたはこれをお忘れでしたよ、格好いいという点を!」と言い、この自分の思いつきに感心したのか、「こいつは手帳に書きとめておこう!」と言います。
もしかすると、「フョードル」は会話の引き出しが多いと思いますが、これは本当に手帳愛好者なのかもしれませんね。
しかし、「フョードル」は「美学」というほどに、腹を立てて怒っている印象はありませんので、こういう発言は不思議に思います。
しかし、「フョードル」は「美学」というほどに、腹を立てて怒っている印象はありませんので、こういう発言は不思議に思います。
さらに「フョードル」は続けて言います。
「わたしは、嘘つきでした。文字どおり一生、毎日毎時間、嘘をつきどおしでした。」
これは、先ほどの「人々や自分自身に対する絶え間ない嘘」という「ゾシマ長老」の言葉に対応しています。
「本当に、嘘は嘘の父でございますな!」と言って、すぐにそれを否定して嘘の息子で十分でしょうと言っていますが、ここはどうでもいいところでしょうが、たぶん延々と嘘が連鎖するということなので、下向きに息子と言い直したのでしょう。
そして、先ほど自分が嘘を言ったディドロのことぐらいなら、人に害を与えないから差し支えないが、他の言葉だと「害を及ぼしますですからね」と、全く反省のないマイペースな調子で言います。
さらに、自分はおととしから、おたずねしようと思っていたことがあると言い、『殉教者列伝』のことを持ち出します。
「ミウーソフさんに、話の腰を折らぬようにおっしゃってくださいまし。」と釘をさしておいて、『殉教者列伝』のどこかに、何とかいう奇蹟の聖者について書かれたところがあり、信仰のために迫害を受け、最後に首をはねられたところ、立ち上がって、自分の首を拾い上げ、『やさしく接吻した』そうです。
「それも、首を両手に抱えて永いこと歩きつづけ、『やさしく接吻した』と記してあるのですが、長老さま、あれは本当でございますか?」と「ゾシマ長老」や神父たちに尋ねました。
0 件のコメント:
コメントを投稿