2016年10月16日日曜日

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図書係の司祭修道士「イォシフ」は「イワン」をさし示しながら「この方のたいそう興味深い論文について話しているところでございます」と長老をかえりみて言った。

そして、「イワン」の論文はいろいろと新説を引き出しており、思想そのものは毒にも薬にもなると思うが、「教会的社会裁判とその権限の拡大範囲という問題について」先ごろ同じ問題で本を出したある聖職者に、雑誌の論文で反駁なさいましたのです、と。

「客たちの間で共通の会話がはずんで」いたというのはこの話題だったのですね。

この「イワン」の「教会裁判」については、前に書かれていました。

「教会裁判」とは、1864年の裁判制度改革にともない、教会裁判の改革も検討され、大きな議論をよんだのでした。

「イワン」の論文で「教会裁判をめぐる問題」に関するさまざまな意見を分析し、個人的見解を表明しましたが、これは「教会派」の大多数の賛同を得たと同時に「市民権派」や「無神論者」たちからも拍手を送られたと、ありましたね。

司祭修道士「イォシフ」が「毒にも薬」と言ったのはこのことかもしれません。

「ゾシマ長老」は、食い入るように鋭い眼差しで「イワン」を見つめながら、自分は残念ながら、あなたの論文は拝読していないが、話は聞いている、と答えました。

司祭修道士「イォシフ」は、「教会的社会裁判の問題で、この方は、国家からの教会の分離を全面的に否定しておられるようなのです」と言います。

長老は「それはおもしろい、しかし、どういう意味でです?」と「イワン」にだずねました。

「イワン」はここでとうとう長老に答えることになりました。


しかし、「前夜アリョーシャがおそれていたような、いんぎん無礼な態度ではなく、こまかい心遣いのうかがわれる、謙虚な控え目な態度で、どうやらいささかの下心もない」ようでした。


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