これから「イワン」が話はじめますが、内容がちょっと難解なので、なるべく簡単に説明しようと思います。超訳です。
「国家」と「教会」は本来別物で、いっしょにはなりえないが、実際にはいっしょになる状態が永久的に続くのだ、という問題意識を立てた。だから、「裁判」だからと言っても本質的には「国家」と「教会」との妥協などありえないはずだ。自分が反駁した聖職者は「教会」は「国家」の中で厳密な一定の地位を占めているということです。しかし、自分は反対に「教会」が「国家」を内包すべきと思います。かりに現在は何らかの理由で不可能であっても本質的には、これがキリスト教社会の今後の発達の直接的な目的になるはずだ、と。
まだ、わかったようなわからないような気がしますが、「まったくの
正論です!」と、寡黙な博学の司祭修道士「パイーシイ神父」が神経質そうな毅然とした口調で言いました。
そして、「ミウーソフ」は、「まぎれもないウルトラモンタニズム(訳注 アルプスの「山の向こう側」に存在するローマ法王の至上権をあらわす言葉。教会が国家に従属することに反対し、ローマ・カトリック教会の権威を集注化しようとする傾向を言う)ですな!」と苛立たしげに足を組みかえて叫びました。
この「ウルトラモンタニズム」は、「Wikipedia」では「キリスト教の歴史上、17,18世紀フランスやドイツにおけるカトリック教会内の教会政治上の論争において、ローマ教皇の首位性を主張した立場。しばしば「教皇至上権主義」「教皇至上主義」と意訳される。転じて、教皇が政治上も絶対的権威を有するという近代の主張もこの語で表される」そして「ウルトラモンタニズムを直訳すると「山の向こう主義」。フランスから見てローマはアルプスを隔てた向こう側であることによる」と説明されていました。
だからでしょう、「イォシフ神父」は「いいえ、ロシアにはアルプスなんぞございません!」と絶叫し、長老をかえりみて、話をつづけました。
この「イォシフ神父」の話も難しいので超訳です。
まず、心に留めておいてほしいことがあります。この方、つまり「イワン」は、その聖職者が言うところの三つの《根本的かつ本質的な》命題に反論しており、第一に『いかなる社会的団体も、そのメンバーの市民的・政治的権利を支配するような権力を所有することはできないし、また所有すべきでない』第二に『刑法上および民法上の権力は教会に存すべきではないし、またそれは宗教上の施設であり宗教上的目的のための人々の結合体である教会の本質と相容れぬものである』第三は、『教会はこの世のものではない王国である・・・』と言うことです。つまり、この聖職者の言いたいのは、宗教はちっちゃくなっていろということでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿