2016年10月19日水曜日

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「イワン」はきわめて冷静に、注意深くいんぎんに話をきき終えると、ふたたび長老に向かって、話をつづけました。

「僕の論文の思想はこういうことにつきるのです。」と切り出します。

そして続けます、キリスト教の最初の三世紀間はこの地上に教会としてあらわれました、次にローマという異教国家が名目上はキリスト教国家になったのですが、ローマ自体が異教の文明や叡知の遺産の基盤の上に立っており、多くの面で異教国家的でありつづけました、ところが、キリスト教会は国家に編入されはしましたが、自己の基盤を何一つ譲るわけにはいかないし、また、教会の目的は主が決めて指示されたもので、その目的とは全世界を、つまり古代の異教国家全体を教会に変えてしまうという目的でした、と。

今、あらためて、キリスト教の目的が全世界をキリスト教にするためであったと聞くと恐ろしさを感じますが、これを自由主義とか共産主義とかに言い換えると何となく納得できるような気がします。


キリスト教が当時の最高の理念的世界であったなら、それに向かって進むことは当然のことでしょう。


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