2016年10月21日金曜日

204

「イワン」は自分の論文の概要を説明しました。

すると、「パイーシイ神父」は一語一語を強調しながら「つまり、要約すればこういうことなのです」と言いました。

そして、「十九世紀になって明白すぎるほど明白になってきたある種の理論によりますと、教会はちょうど低級な種が高級なものに進化するように、国家に変質すべきであり、やがては学問や時代精神や文明などに屈して、国家の中で消滅すべきだ、というのです。」そして、そうでなければ、現在ヨーロッパ各地でよく見られるように、国家の中で監視されながら国家の中の一隅を与えられるにすぎず、「しかし、ロシア人の解釈や希望では、低級な種が高級なものに進化するように教会が国家に変質するのではなく、むしろ反対に、国家がいずれは一つの教会になり、それ以外の何者でもなくなることが必要でございますね、アーメン、アーメン!」と。

「パイーシイ神父」のこの発言は、意味がわかりません。

先ほどの「イワン」の説明では、なかった部分が要約されています。

「十九世紀になって明白すぎるほど明白になってきたある種の理論」とは、「唯物論」だと思うのですが、「・・・やがては学問や時代精神や文明などに屈して、国家の中で消滅すべきだ」という部分は、「イワン」の意見ではありません。

前に「イワン」の論文について、どういうものだったかということが書かれていました。

それによると、「肝心なのはその論調と、目をみはるばかりの結論の意外性だった」そして、一応は「教会裁判をめぐる問題」に関するさまざまな意見を分析したとあります。そして、「教会派」の大多数の賛同を得たと同時に「市民権派」や「無神論者」たちからも拍手を送られたと書かれてありました。

このどちらからも、拍手を送られたというのは、彼の論理が矛盾しているからではないでしょうか。

少なくとも「国家」や「宗教」の定義がなく、それぞれ都合よく扱われています。


いずれにせよ、「イワン」の言いたいことは「国家」が「教会」になるべき、つまり「キリスト教国家」になるべきだと言うことだと思いますが、すっきりしません。


0 件のコメント:

コメントを投稿