「イワン」の話と「パイーシイ神父」の要約を聞いて「ミウーソフ」は「これでいくらかはほっとしましたよ」と、また足を組みかえて苦笑しました。
そして、自分が理解したかぎりでは、この話は、「限りなく遠い、キリスト教再来の時における、何かの理想の実現ということ」で、それなら「戦争、外交官、銀行などといったいっさいのものの消滅という、まことに結構なユートピア的空想」であって、「どこか社会主義に似たところさえありますよ」、そうじゃなければ、これは本気で、たとえば教会が今後、刑事事件を裁いて、笞刑や流刑や死刑までも宣告するなんてことを言っているのかと思いましたよ、と。
「ミウーソフ」がそう言うのも無理はありませんね、話があまりにも極端で現実離れしていますから。
しかし、「イワン」は現代、教会的社会裁判が実行されたら、流刑や死刑はなく、犯罪や犯罪感は疑いもなく変わるはずだと言います。
そして、それは、今すぐ急にというわけではなく、徐々にであって、「それでもかなり早急にね・・・」と、「イワン」はまばたき一つせず、冷静に言いました。
「ミウーソフ」は「イワン」に、本気なんですか?と問いました。
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