「イワン」は、かりにすべてが教会になれば、つまり、教会的社会裁判が行われればということですね、そうすれば教会は犯罪者や不従順な人間を破門するだろうが、その場合でも首をはねたりはしないはずです、と言います。
そして、「あなたにひとつ伺いますがね、破門された人間はそうなったらどこへ行けばいいんです?だって、そうなれば破門された人は、現在のように人間社会からだけではなく、キリストからも離れ去らなければならないんですよ」その人間は世間だけでなく、キリストの教会に対しても敵対することになります、今でも厳密な意味ではそうですが、そんなことは文章で書かれているわけではないのだから、現代の犯罪者の良心は自分自身と闇取引きをして『俺は泥棒こそしたが、べつに教会に逆らったわけじゃないし、キリストの敵でもないんだ』なんてことを一人残らず思っています、しかし、教会が国家になったら、この地上のすべての教会を否定しなければならなくなり、『どいつもこいつも間違ってやがる。みんな本筋からはずれちまったんだ。偽の教会ばかりだ。人殺しで盗人のこの俺さまだけが正しいキリストの教会なんだ』なんてことは、簡単にいえることではなくて、「膨大な条件や、そうざらには存在しない環境を必要としますからね」ところで、その反面、教会自体の犯罪観を考えると「現在の、ほとんど異教的とさえ言える考え方を改めて、現に社会を守るために行われているような、病菌に冒された箇所を機械的に切断してしまうようなやり方から、今度はもう完全に嘘偽りではなく、人間再生の思想、人間の復活と救済という思想に変わってゆくべきじゃないでしょうかね?」と。
つまり「イワン」の言いたいことは、今は国家と教会という二つが人間の心を支配しているので、どっちかがダメだとどっちかにつくことができるのだが、一本にすれば、すっきりすると。
そして、国家は社会を守るために人間を切り捨てるが、教会は再生と復活と救済の思想だから教会一本に統一すべきだ、これは、人間の良心の帰属の問題で、「イワン」の言わんとするところはそういうことのように思えます。
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