「ホフラコワ夫人」は「疑い」があると、告白しました。
「ゾシマ長老」はそれは「神への疑いですか?」と問い返します。
そうすると「ホフラコワ夫人」は「・・・とんでもない、そんなこと考えてみる勇気もございませんわ。でも、来世ということが謎なのです!そして、だれもこれに答えてくれませんもの!」あなたは、万病を癒してくださる人間の魂の専門家でいらっしゃいます、あたしはあなたに全面的に信じていただけるなんてことは思っていませんが、今、こんなことを話すのは、軽薄な気持からではないことは誓います、「やがてくる来世の生活という考えが、苦しいほどあたくしの心を乱すのでございます、ほんとに恐ろしくなるほど・・・」、そして、その勇気がないので、だれにおすがりすればよいのか、わかりません、ですから、今思いきってあなたに申しあげているのです、ああ困りました、こんなことを話すと今度あたくしのことをどんな女とお考えになりますことでしょう、と彼女は悲しげに手を打ち合わせました。
どうも、彼女の話は要領を得ませんが、これはキリスト教的な死にたいする漠然とした不安ということでしょうか、これは、自分では否定していますが、れっきとした、「神への疑い」ではないでしょうか。
来世などなくて、死ねば死にきりなどという思いが生ずれば、宗教自体に疑問がでてくるでしょう。
「ホフラコワ夫人」の「悩み」は「神への信」という根本的な問題なのではないでしょうか。
長老は、「わたしの考えなど、お案じになることはございません」「あなたの悩みの真剣さは十分信じておりますから」と答えました。
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