話しながら自分で自分の話に酔ってしまっているのでしょうか。
「ホフラコワ夫人」は、自分には強い人類愛があると言いながら、例えば自分が人類愛に満ちた看護婦になったとして、そのような生活をずっと続けていくことができるでしょうか、と熱っぽく、ほとんど狂おしいばかりに話を続けます。
そして、それが自分にとって、数ある問題の中でいちばん苦しい問題です、と。
彼女の話は支離滅裂ですね。
論理的ではありません。
情熱にまかせて、思いついたことを興奮して喋っているだけのように聞こえます。
さらに彼女は続けます。
彼女は自問することがよくあると言います。
それは、もし看護婦となった自分に傷口を洗ってもらっている患者が「すぐ感謝を返してよこさず、それどころか反対に、さまざまな気まぐれでお前を悩ませ、お前の人間愛の奉仕など目をくれもしなければ評価もしてくれずに、お前をどなりつけたり、乱暴な要求をしたり、ひどく苦しんで入る人によくありがちの例で、だれか上司に告げ口までしたら、そのときにはどうする?それでもお前の愛はつづくのだろうか、どうだろう?と。
そして、それには自分でもう結論をだしていて、そしてぎくりとしました、「かりにあたくしの《実行的な》人類愛に即座に水をさすものが何かあるとしたら、それはただ一つ、忘恩だけですわ」、つまり一言で言えば、自分は報酬目当ての労働者と同じで、ただちに報酬を、「つまり、あたくしに対する賞賛と、愛に対する愛の報酬を求めるのでございます。そうでなければ、あたくし、だれのことも愛せない女なのです!」と。
ここまで話して、彼女は心の底から自責の発作にかられていましたので、話し終ると、挑戦的な決意の色を示して長老を眺めやりました。
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