2016年10月9日日曜日

192

「ゾシマ長老」の会話の中の医者も、「ホフラコワ夫人」も強い人類愛のことを話しましたが、いずれもそれらは実行されたことではなくて、抽象的で観念的なことです。

この医者の場合は人類愛はともかくとして、結局は人を愛せないと言っているのでしょうし、彼も、そして愛の見返りを求めているという「ホフラコワ夫人」も頭の中では、愛さなければならないと思っていても、実際には思うように愛せないというのが共通の悩みなんじゃないかと思います。

「ゾシマ長老」は「ホフラコワ夫人」に、「あなたがそれを嘆いていることで十分なのです。ご自分にできることをなさい。そうすれば報われるのです。あなたはもう、ずいぶん多くのことをやりとげていますよ。なぜってそれほど深く真剣に自覚することができたのですからね!」と。

「ずいぶん多くのことをやりとげている」とは、「ホフラコワ夫人」が病弱の「リーズ」の面倒を一生懸命みていることだと思いますが、そのことが「自分にできる」愛の実行そのものであって、それを行っている夫人は、その報酬として、すでに深い真剣な自覚というものを得ているのですという意味でしょうか。

あなたには、深い自覚ということが、神から与えられている、それは、あなたが愛を実行しているからだ、ということですか。


そうだとすると、会話の中で読み飛ばしてしまいそうなところですが、なかなか理にかなった内容になりますね。


0 件のコメント:

コメントを投稿