「一つちょっとした小話をさせていただきましょうか、みなさん」と、突然「ミウーソフ」が相変わらず威厳たっぷりな、何やら特に貫禄のある態度で話をはじめました。
もう数年前、例の十二月革命(訳注 1851年12月2日、ルイ・ナポレオンの行った革命)の直後のことですが、ある日自分はパリでさるきわめて枢要な、そのころ指導的な地位にあった人物を知合いのよしみで訪問したが、その際に、そこで一人の実に興味深い人に会う機会を得た、その御仁は、ただの刑事というわけじゃなく、公安刑事の隊長といった役目で、やはり一種のかなり有力な地位なわけですが、ふとした機会をとらえて、自分は並はずれた好奇心からこの男と話しこんでみた、ところが彼は知人として迎えられているわけじゃなく部下としてある種の報告を持ってきたわけですから、自分が上司の客であることを知って、ある程度ざっくばらんに話してくれた、そりゃもちろん、ある程度までの話で、つまり率直というより、むしろいんぎんにです、まさに、フランス人がいんぎんに振舞うすべを心得ている、あのやり方ですよ、まして、こちらが外国人だからなおさらで、でも、彼の気持はよくわかりました、ところでそのうちに、そのころ追及中の社会主義革命家たちのことが話題になり、話の本筋は飛ばしますが、ここでその御仁がひょいと口走った、一つのきわめて興味深い感想だけを紹介します、こう言ったのです、『われわれは実際のところ、アナーキストだの、無神論者だの、革命家だのという、あんな社会主義者たちを、さほど恐れちゃおらんのです。あの連中の動きは監視していますし、手口も知れていますからね。しかし、連中の中に、ごく少数とはいうものの、何人かの特別なのがいるんです。それは神を信ずるキリスト教徒でありながら、同時に社会主義者でもあるという連中なんですよ。この連中をわれわれはいちばん恐れているんです、これは恐るべき人たちですよ!キリスト教徒の社会主義者は、無神論の社会主義者よりずっと恐ろしいものです』この言葉は当時も自分をぎくりとさせたものですが、今あなた方のところで、なぜかふいにこれを思いだしましてね・・・。と。
「と、つまり、あなたはそれをわたしたちに当てはめて、われわれを社会主義者とごらんになるわけですね?」と、「パイーシイ神父」はずばりと率直にたずねました。
しかし、「ミウーソフ」が返事を思いつく前に、ドアが開いて、ひどく遅刻した「ドミートリイ」が入ってきました。
実際の話、彼を待つのはあきらめた形になっていましたので、この突然の出現は最初の一瞬、ある種のおどろきをひき起こしました。
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