「ゾシマ長老」は「イワン」に次のように話します。
あなたが論文で教会が国家になればよいと言ったのは冗談ではなく、それはあなたの本心です。しかし、あなたの思想はあなたの心の中で解決されていないので、心が苦しむのです。「しかし、受難者も絶望に苦しむかに見えながら、ときにはその絶望によって憂さを晴らすのを好むものですからの。今のところあなたも、自分の弁証法を自分で信じられず、心に痛みをいだいてひそかにそれを嘲笑しながら、絶望のあまり、雑誌の論文や俗世の議論などで憂さを晴らしておられるのだ・・・」あなたの内部でこの問題が解決されていないので、そこにあなたの悲しみがあるのです。「なぜなら、これはしつこく解決を要求しますからの・・・」と。
「イワン」が信じていないと「ゾシマ長老」がいう「弁証法」とは、神の否定を媒介とした新しいキリスト教による国家の創設でしょうか。
しかし、「絶望によって憂さを晴らす・・・」とか言うのはずいぶん意地の悪い言い方ですね。
それに、「これはしつこく解決を要求しますからの・・・」というのも脅しのように聞こえます。
では、「ゾシマ長老」はどうしろと言いたいのでしょう。
「イワン」もそのことをだずねます。
「ですが、この問題が僕の内部で解決することがありうるでしょうか?肯定的なほうに解決されることが?」と、「イワン」は説明しがたい微笑を
うかべて長老に対し「異様な質問」をつづけました。
ここで言われている「肯定的なほう」とは、無神論的立場ではなく、神を信じるということを乗り越える方向での解決ということでしょう。
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