2016年11月23日水曜日

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「ききましたか、え、神父さんたち、父親殺しの言うことをききましたかね?」と「フョードル」は「イォシフ神父」に食ってかかりました。

ここで、「父親殺し」というこの物語の中の象徴的な言葉が使われましたね。

「フョードル」は、「ドミートリイ」への攻撃だけでなく、神父さんたちへの攻撃もはじめます。

「あれがあんたの『恥を知れ』に対する答えですよ!何が恥を知れだ!あの《牝犬》はね、あの《身持のわるい女》は、ことによると、あんたら修行中の司祭修道士なんぞより、よっぽど神聖かもしれませんよ!そりゃひょっとすると、あの女は若いころ、環境にむしばまれて身を持ちくずしたかもしれないけれど、でも、《数多く愛し》ましたからね、数多く愛した女はキリストもお赦しになったじゃありませんか・・・」

これは、「マグダラのマリア」のことなんでしょうか、私は詳しいことはわかりませんので、そのうち調べようと思います。

こともあろうに「フョードル」は、「ドミートリイ」や「ミウーソフ」への攻撃だけでなく、神父さんたちへの攻撃もはじめたのですね。

「キリストはそんな愛のためにお赦しになったのはありません・・・」と、柔和な「イォシフ神父」がたまりかねて、吐きすてるように言いました。

「いいや、そういう愛のためです、まさしくそういう愛のためですぞ、神父さん!あんた方はここでキャベツなんぞで行いすまして、自分たちこそ敬虔な信徒だと思ってらっしゃる。ウグイを食べて、一日に一匹ずつウグイを食べて、ウグイで神さまが買えると思っているんだ!」と。

ちょっと、ひどい言い方になってきましたね。

こうなったら、もはや修復不能です。

実際に修道士たちはウグイを食べていたのでしょうが。


ウグイの写真をネットから拝借しました。(下の写真です)




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