「ドミートリイ」は数瞬の間、ショックを受けたように立ちつくしていました。
そして、内心の声です。
「ゾシマ長老」の自分の足もとへの跪拝-これはいったい何事だろう?
そして、やがてふいに『ああ!』と叫ぶなり、両手で顔を覆って、部屋を飛びだしました。
この情景の描写から、「ドミートリイ」は何かに気づいたのでしょう。
そして、それは「両手で顔を覆って」ということですから恥ずべきことだったのでしょうか、それとも別の何かだったのでしょうか、そもそも「ゾシマ長老」は「ドミートリイ」に対しては特別な感情を持っているようですが、彼の中に何を見たのでしょうか、私にはわかりませんが、この辺のことについてはたぶんネットでいろいろな意見が披瀝されていると思いますので後で見てみたいと思います。
「ドミートリイ」が部屋を飛びだしたのに続いて、他の客もみんな、狼狽のあまり主人に別れも告げず、おじぎもせず、一団になって逃げだしました。
司祭修道士たちだけがまた祝福を受けに歩みよりました。
これで、この会合は凄まじい父子の罵り合いのすえ、何かわかりませんが印象的な結末のまま終ったのです。
なぜか急におとなくしなった「フョードル」は「どうして足もとへおじぎなんかしたんだろう、何かの象徴かな?」と、さすがにだれにも話しかける勇気がないまま、会話をはじめようと試みかけましたが、このときはみんな僧庵の囲いから出るところでした。
ここで、「フョードル」は、「ゾシマ長老」の「ドミートリイ」の足もとへの跪拝は「・・・何かの象徴かな?」と言っています。
それは、まさにこの物語の象徴と思われるような行為です。
作者が当事者の口を借りてこのことを言っているようです。
また、見方を変えればこれはたんに感の鋭い「フョードル」の予感なのだとも言えましょう。
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