2016年11月7日月曜日

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「ミウーソフ」は、自分が話し出した話題を打ち切るようにと再びお願いしました。

あまり突っ込んで話したくなかったのでしょう。

そして、「その代わり、ほかならぬイワン君に関するきわめて興味深い、この上なく特徴的な話を、みなさんにご披露しましょう」と言います。

それは、つい四、五日前のことで、この町の主として上流婦人を中心とする集まりでのことでした。彼は議論の中で得々として明言したそうです。

「つまり、この地上には人間にその同類への愛を強いるようなものなど何一つないし、人間が人類を愛さねばならぬという自然の法則などまったく存在しない。かりに地上に愛があり、現在まで存在したとしても、それは自然の法則によるのではなく、もっぱら人間が自分の不死を信じていたからにすぎないのだ。」

続いて、「イワン」が括弧つきで言い添えたのですが、と「ミウーソフ」が言い添えて「これこそ自然の法則のすべてなのだから、人類のいだいている不死への信仰を根絶してしまえば、とたんに愛だけではなく、現世の生活をつづけようという生命力さえ枯れつきてしま」い、そうなれば、もう不道徳なことなど何一つなくなって、すべてが、人肉食いさえもがゆるされるのであり、しかも、結論として力説したのは「たとえば現在のわれわれのように、神も不死も信じない個々の人間にとって、自然の道徳律はただちに従来の宗教的なものと正反対に変わるべきであり、悪行にもひとしいエゴイズムでさえ人間に許されるべきであるばかりか、むしろそういう立場としては、もっとも合理的な、そしてもっとも高尚とさえ言える必然的な帰結として認められるべき」ということです、みなさんわが親愛なる奇人の逆説家イワン君が提唱している、そしておそらくこの先までまだ提唱するつもりでおられる、他のすべてのことに関しては、今のパラドクス一つで、十分ご推量いだだけると思いますが、と。

何を言っているのか難しくてわかりません。

「自然」というものと「神・不死」を対立させていることは何となくわかりますが、「自然の道徳律」という言葉が急に出てきて戸惑うのですが、これは、「トマス・アクィナス」の自然法の哲学に依ったもののように思えますが真相はわかりません。

もし、そうだとすれば、「イワン」の言いたいことは「自然の道徳律」つまり、人を殺してはいけないとかいう規律は、永遠のものではなく、従来の「自然の道徳律」は廃棄されてあたらしい「自然の道徳律」に変わるべきだと言うことになります。

それにしても、「イワン」はさっきまでは、理念としてのキリスト教を支持していたような話ぶりだったのですが、ここでは無神論者として発言しているようです。


なんだかすっきりしない人物です。


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