2016年12月11日日曜日

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「アリョーシャ」は「グルーシェニカ」に自分のところへ訪ねて来るようにと言われているのですが、「よろしく伝えといて。伺いませんからって言っといてよ」と苦笑して、断るように「ラキーチン」に頼みました。そして、「それより、ミハイル、言いかけた話をすっかり言いたまえよ。そのあとで僕の考えを言うから」と。

ここで「ラキーチン」のことをはじめて「ミハイル」と言っています。

そしてここからの「ラキーチン」の話は少々長いのですが、ここまで進行したこの物語の、一方的かもしれませんが、まとめ的な意味があります。


「ラキーチン」は、万事がはっきりしていることだから、すっかり話すほどのことはない、こんなのは毎度おきまりの筋書きなのさ、と前置きし、もし「アリョーシャ」の内部にも女好きがひそんでいるとすれば、同腹の兄さんである「イワン」だって、カラマーゾフなのだから同じである、女好きと、強欲と、神がかり行者!「ここにカラマーゾフ家の問題のすべては存するんだ」と、「イワン」は無神論者でありながら、何かわからぬ愚かしい打算で、今のところ冗談半分とはいえ、神学の論文を発表して、その行為の愚劣さを自分でも認めている、そればかりか長兄の「ミーチャ」から婚約者を奪おうとしているし、きっとその目的もはたすことだろう、おまけに当の「ミーチャ」の同意のもとにそうなるだろう、どうしてかというと、「ミーチャ」はただ婚約者から解放されて一刻も早く「グルーシェニカ」のところへ駆けつけたいという一心で自分からいいなずけを弟の「イワン」に譲ろうとしているんだからね、婚約者はあんなにも高潔な無欲な人柄であるというのに、ここが大事なところなのだが、こういう連中はまったく宿命的だ!ということ、こうなると君ら兄弟のことはまるきりわけがわからない、なにしろ自分の卑劣さを認めながら、みずから卑劣さにはまりこんでいくんだから、まあ、先をききたまえ、ところが今度は「ミーチャ」の行手をさえぎるのがあの老いぼれの親父さんてわけだ、彼は突然「グルーシェニカ」に首ったけになってしまって、彼女を眺めているだけで、涎をたらす始末だ、今しがた庵室で醜態を演じたのもあの女のことが原因だ、それも「ミウーソフ」があの女をさかり時の牝犬だなんで言っただけでね、べた惚れなんてなまやさしいものではない、以前あの女は飲屋か何かのいかがわしい仕事で給料で働く身にすぎなかったんだけど、今ごろになってふいに親父さんが気づいて、見直し、すっかりのぼせて、世帯を持とうと言い寄りはじめた、もちろん誠意はないんだけど、そこで親子が一本道で鉢合せとという仕組みだ、と。




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