2016年12月15日木曜日

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実は「ラキーチン」には「イワン」を嫌う理由がもうひとつあるのでした。

「ラキーチン」は、「アリョーシャ」が自分を侮辱していないというならそれは信じるよ、しかし、君も「イワン」もどうとでもなれ、だ!、君ら兄弟にはわかるまいが、「カテリーナ・イワーノヴナ」のことがなくても、「イワン」なんて男は大いにきらうだろうよ、どうして自分があんな男を好きになれるって言うんだい、胸くそがわるい!、だって彼自身さんざ僕の悪口を言ってるんだからね、なぜ僕には彼の悪口を言う資格がないんだい?、と。

彼の「イワン」に対する怒りはかなりのものですが、「アリョーシャ」は何のことを言っているのかわからず、「イワン」が自分に、「ラキーチン」のことなどは話題にしたことは全然ない、と言います。

「ラキーチン」は、僕のきいた話だと、おととい「イワン」は「カテリーナ・イワーノヴナ」のところで、この僕をくそみそにけなしつけたそうだ、「そんなにまでこの忠実な下僕に関心をお寄せいただくとはね、こうなると、君、だれがだれに嫉妬してるのやら、わからんね!」、こんな話を披瀝したそうだ、「もし僕がきわめて近い将来に修道院長になれる出世コースをいさぎよしとせず、頭を丸める決心もつかぬとしたら、きっとペテルブルクへ出て、大雑誌の、それも必ず批評部門にもぐりこんで、十年ほど書きつづけ、最後にはその雑誌を乗っとっちまう。それからふたたび発行をつづけるけど、必ず自由主義的な無神論の傾向で、それに社会主義的な色どりを、というより、むしろ少しばかり社会主義の装いをさせる。ただし、耳をそばだてて、つまり、本質的には味方も敵も警戒して、ばかどもの目をくらませるんだとさ。君の兄さんの説によると、僕の栄華の極みはこうなるんだって。つまり、社会主義的な色どりにもかかわらず、僕は予約金をどんどん当座預金に積みたて、ユダヤ人かだれかのコーチの下に、折をみてその資金を回転させ、やがてついにはペテルブルグに大ビルディングを建てる。そして編集局をそこに移して、ほかの階はアパートにするんだそうだ。そのビルの場所まで指定してくれたんだぜ。なんでも、目下ペテルブルグで、リティナヤ通りからヴィボルグスカヤ通りへ、ネワ河にかけ渡そうと計画中の新カーメンヌイ橋のたもとだそうだ・・・」と。

ここまで、詳細に自分の将来について、他人から言われると頭にきますね。

自分のことがそのように見られているということですから。

当たっているところも、はずれているところもあるでしょうし、決心をつけかねているところや、言葉にできずに頭の片隅にもやもやしているところもあると思いますが、それらをきっぱりと言葉に出しているわけですから、「ラキーチン」のショックは大きかったでしょう。

この内容自体、客観的には「ラキーチン」の性格の本質をついたものだと思います。


程度のほどはよくわかりませんが、「カテリーナ・イワーノヴナ」をめぐる「イワン」と「ラキーチン」の三角関係ゆえに互いの憎しみも相乗効果を帯びているようです。



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