2016年12月27日火曜日

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修道院長もこの「フョードル」の行動には驚いたことでしょうが、「お相伴させていただけますかな?」と言われれば断ることはできないでしょう。

「衷心からおねがいいたします!」と修道院長は答え、「みなさん!僭越ではござりまするが」と突然のように「心からみなさんにお願いします。いっときの諍いを忘れて、主への祈りを捧げながら、この和やかな食事の間に、愛と親族の和とで結ばれますよう・・・」と急いで言い添えました。

「親族の和」と言う言葉を使った修道院長はおそらく僧庵で同席していた神父たちに先ほどの「フョードル」の行状について聞いていと思います。

そして、「ミウーソフ」も予想外の展開に気が動転して「いや、いや、だめです」とまるで我を忘れたように叫びました。

「フョードル」は、「ミウーソフさんがだめとあっちゃ、わたしもだめだ。わたしも残らぬことにしましょう。そのつもりで来たんですから。わたしゃ今度どこへ行くにもミウーソフさんといっしょにしますよ。ミウーソフさんが帰るとおっしゃるなら、わたしも失礼しますし、残るとありゃ、わたしも残ることにします、院長さま、親族の和とは、この人には特に耳の痛い言葉でしてね。なにしろ、わたしの親戚だってことを認めていないんですから。そうだろう、フォン・ゾーン?ほら、そこにいるのがフォン・ゾーンでさ。元気かい、フォン・ゾーン」と。

もうここまでくれば、めちゃくちゃですね。
理屈も何もあったもんじゃなく、駄々っ子の言い草です。
おまけに、何の関係もない「マクシーモフ」まで茶化しています。
たぶん「フョードル」はあだ名をつけるのが得意な人間なのでしょう。
人を見て、何かに関連づけるということは、人を見る観察眼がすぐれていなければできないことですね。

「フォン・ゾーン」と揶揄された当の地主の「マクシーモフ」は、「それは・・・わたしのことで?」と肝をつぶしてつぶやきました。

「もちろんお前のことさ」と「フョードル」が叫びました。「きまってるじゃないか?まさか、院長さまがフォン・ゾーンのはずもあるまい!」と。

「マクシーモフ」は「わたしだって、フォン・ゾーンなんかじゃありませんよ。わたしはマクシーモフです」と叫びました。

「フョードル」はよほど「フォン・ゾーン」という思いつきの言葉が気に入ったのでしょう。なんか子供じみていますが「マクシーモフ」のことを「フォン・ゾーン」だと言い張ります。

そして「以前そういう刑事事件がございましてね」と今度は修道院長に「フォン・ゾーン」のことを説明します。その男は魔窟で殺された、たしか、こちらではあの場所のことをそう呼ぶんでしたね、彼はいい年をしていたにもかかわらず、殺されて、身ぐるみはがされて、箱詰めにされ、密封されて、荷札つきでペテルブルグからモスクワへ貨車で送られたのです、箱を釘付けするときには、淫らな踊り子どもが歌をうたったり、グースリ(訳注 琴に似た民族楽器)をひいたりして大うかれだったそうです、これが「フォン・ゾーン」です。その男が死者からよみがえったというわけでした、そうだろう、フォン・ゾーン?と、再び「マクシーモフ」に話を振ります。

作者の詳しい時代設定がわかりませんが、この修道院での出来事はおそらく1860年代の後半あたりのこととしていると思います。小説としては13年前のことを思い出すという形で書かれています。
実際にフォン・ゾーン事件は1869年の年末のことなので、そのころこの事件はかなり騒がれていたのかもしれません。

そして、琴に似た民族楽器の「グースリ」とは、ウィキペディアでは次のように説明されています。

グースリ(ロシア語: Гусли)は、ロシアに伝わる弦楽器。中世ロシアにおいては、ロシア正教会が器楽演奏を禁じていたが、グースリはその唯一の例外であった。中世ロシアで活動したスコモローフが多用し、口承叙事詩ブィリーナを語る際にもグースリを膝に置いてつま弾いていたと考えられている。ブィリーナの中では、キエフの勇士ドブルィニャ・ニキーティチやノヴゴロドの商人サドコの物語に、グースリがスコモローフのトレードマークとして登場する。使用された時代と共鳴器の形によって、翼型、兜型、箱形の3つに分けられる。

実際にグースリの音を聞いてみたいのですが、youtubeで見つけることができませんでした。

小説の中で語られているグースリの形は、時代からいって翼型か兜型と思われます。参考に兜型グースリの絵を掲載します。


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