「フョードル」は自分のことを「名誉の騎士」だと言っています。
これは、真実を闇の奥から救い出すために、自ら傷つきながらも戦っている姿を自分に重ね合わせているのでしょうか。
「フョードル」の発言はめちゃくちゃな口から出まかせもかもしれませんが、そのような一面も確かにあるような気がしてきました。
作者は、「ここで注釈が必要だ。」と書いています。これは、たんなる読者へのサービスではなく、「フョードル」の発言に対する弁護の一面もあります。
その注釈とは次のような内容です。
「フョードル」は世間の噂には耳ざといほうで、「かつて(ここの修道院に関してだけではなく、長老制度の確立している他の修道院でもそうだったが)、あたかも長老が尊敬されすぎていて、修道院長の地位さえ危うくしかねぬほどだとか、なかでも特に長老が懺悔の聖秘礼を悪用している、などという悪意にみちた噂が流れ、大主教の耳にまで達したことがあった。この町でもどこでも、そのうちにひとりでに消えてしまったような、愚にもつかぬ非難である。」しかし、神経のたかぶった「フョードル」にとっては、彼を捉えて離さない、そしてどこかますます遠く恥辱の深みへ連れ込もうとする愚かな悪魔が取り憑いていました、その悪魔は、最初の一言をきいただけでは、「フョードル」自身も理解できなかったような、ひと昔前のこのような長老制度への避難を彼に吹き込みました、「フョードル」だって、このような避難を筋道だって話すことなどできませんでしたし、ましてこの場合だって、長老の庵室でだれ一人ひざまづいていたわけでも、声をだして懺悔したわけでもないのですし、だから「フョードル」自身も何一つそんな光景をみるはずはなく、どうにか思い出した昔の噂やデマを頼りに話しているにすぎませんでした、しかし、「フョードル」は愚かな言葉を口にしてしまったあと、「彼は愚にもつかぬたわごとを口走ったと感じましたので、ふいに聞き手たち、なかでもとりわけ自分自身に対して、決してたわごとを言ったのではないことをただちに証明したくなった。これから一言しゃべるたびに、すでに口にだしたたわごとに、いっそう愚劣なことを上塗りするばかりだと、十分承知してはいたものの、もはや自分を抑えることができず、坂道をころげ落ちるのにひとひしい有様だった。」ということです。
ただほとんど翻訳文を転記しただけなのですが、これはたんなる登場人物の心理描写ではなく、あくまで小説の形を保ちつつも奥深く人間というものを文章化した小説の一片であり、私のそんなにも多くはない読書経験の中なのですが、見たことがありません。自分の思っていること、感じていること、頭をかすめて消え去ったものを、いかに深く捉えて分析しているか、いかに集中力を発揮して、物事の本質を捉えようとしているか、でしょう。
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