「なんて卑劣なんだ!」と「ミウーソフ」がどなりつけました。
そして、「失礼ですが」と、ふいに修道院長が言いました。
「昔からこう言われております。『人々われにさまざまなことを言い、ついにはいまわしき言にすら及ぶ。われすべてを聞き、心に言う。そはイエス・キリストの医術にして、わが虚栄の心を治癒せんがために遣わされたるなり』と。ですから、わたしどもも賓客のあなたに謹んでお礼を申しあげます!」と、こう言って、院長は深々とおじぎをしました。
これは、このあとの「フョードル」の言葉を聞いてもわかるように、この場においては適切な言い方ではないですね。
この例えは、修道院の内部というか、そういった立場の人間が自分で思うようなことであって、勘のいい「フョードル」にとっては、逆効果でしょう。
「ゾシマ長老」なら、どのような言い方をするか知りたいところです。
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