「ラキーチン」の言いたいことは次のようなことです。
「アリョーシャ」の兄さんたち、つまり「ドミートリイ」と「イワン」ですね、彼らと金持の親父さん「フョードル」との間に犯罪が起ることになり、「ゾシマ長老」は将来万一起こるかもしれない犯罪のために、おでこをこつんとやっといたんだと。そして、あとで何か起れば、『ああ、そういえば長老さまが予告してらした。予言なさっていたっけ』ということになる、しかし、そうは言ってもおでこをこつんとぶつけることに、どんな予言があるのだろうか、それでもみんなは、いや、あれは象徴だったんだとか暗喩(アレゴリー)だとか何とか、わけのわからないことを言うだろう、そして、犯罪を予見しただの、犯人を見ぬいただのとほめちぎられて、記憶にとどめられるって寸法だよ、神がかり行者(ユロージヴィ)なんてみんなそうさ、酒場に十字を切ったり、寺院に石をぶつけたりするんだ、君の長老だってそうだ、敬虔な信者を杖で追い払うかと思や、人殺しの足もとにおじぎしたりするんだから、と。
「ラキーチン」は思っていることを全部言ってしまいましたね。
つまり、カラマーゾフ家の中で殺人事件が起ると。
それに、「ドミートリイ」のことを「人殺し」とまで言っています。
しかし、家族間でいくらいがみ合っていようと、たとえば多少の暴力沙汰は生じたとしても普通は殺人まで連想しないと思いますが、「ラキーチン」には彼らの性格や行動における余程の確信めいたものがあるのでしょう。
そして、この会合からだけではなく、すでに、この家族間の諍いは最終的には殺人まで行ってしまうかもしれないという雰囲気がこの町じゅうにあったのでしょう。
それにしてもこの段階での「ラキーチン」の極端な発言内容は、不自然な気がします。
「ラキーチン」といえば、この修道院と僧団の庇護を受けている未来の神学者なのですが、彼の発言を聞くかぎりでは、ずいぶんと「ゾシマ長老」を侮辱する言葉を発していますね。
そして神がかり行者のことをペテン師呼ばわりしているところをみれば、彼は未来の神学者として、宗教を否定する立場なのでしょうか、彼自身が修道院の庇護を受けていることからも、ちょっとそれは考えられないのですが。
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