「フョードル」のあまりにもひどい言いがかりに対して、「それはまるでひどい言い方です」と、「イォシフ神父」がいいました。
「・・・民衆を食いものにしてるんですぜ!」なんてことまで言われたのですから当然ですね。
「パイーシイ神父」は頑なに沈黙していました。
「イォシフ神父」は図書係で、「パイーシイ神父」は寡黙で博学で病身な神父でしたね。
そして、「ミウーソフ」は部屋から逃げ出し、「カルガーノフ」も彼に続きました。
これでもうこの昼食会は、確実にお流れになりましたね。
「フョードル」は「じゃ、神父さん、わたしもミウーソフさんのあとを追いまさあ!今後もう二度とお邪魔はしませんから。ひざまずいて頼んだって、来てやるものか。わたしが前に千ルーブル寄付したことがあるもんで、またぞろ目を光らせてたんでしょうがね、へ、へ、へ!だめでさあ、この上足し前なんぞしないから。わたしゃね、過ぎ去った青春に、わたしの嘗めたあらゆる屈辱に、仕返ししてやるんだ!」と、みずから作りあげた感情の発作にかられて、テーブルを拳でたたきました。
ここで、「わたしが前に千ルーブル寄付したことがある」というのは、彼が最初の妻の「アデライーダ」の法要のために、約百万円の寄付をしたことをさします。このときの行動も発作的でした。
そして、「フョードル」は、この修道院が自分の人生で大きな意味をもってしまった、つまり、ここの修道院のせいで、自分は苦い涙をさんざん流した、癲狂病みの女房を、つまり二度目の妻の「ソフィヤ・イワーノヴナ」のことですが、彼女が自分に楯ついたのはここの修道院のあなた方のせいだと、また、七つの教会会議で自分を呪って、近在一円に吹聴してまわったのもあんだらだ、もうだくさんだ神父さん、今は自由主義の時代で、汽船を鉄道の時代なんだ、千ルーブルだって、百ルーブルだって、いや百カペイカだって自分からとれやしませんからね!、と言いました。
「七つの教会会議」というのは、「ウィキペディア」で書かれている「7つの教会は、初期キリスト教における7つの主要教会として、新約聖書ヨハネの黙示録で言及されている教会」に由来するのでしょうか。
作者は、ふたたび「ここでまた、注釈が要る。」と書いています。
それは、この修道院がいまだかつて「フョードル」の人生で何一つそんな特別な意味をもったことがなかったし、修道院のおかげで彼が苦い涙を流したこともまったくありませんでした、ということです。
しかし、「フョードル」はみずから作りだした涙にすっかり夢中になり、一瞬われとわが話を信じそうになりました。
そして、感動のあまり泣きだしそうにさえなりましたが、その瞬間、そろそろ退却すべき潮時だと感じました。
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