「グリゴーリイ」の妻「マルファ」という女は、決して愚かではありませんでした。ことによると夫より利口かもしれませんでした。少なくとも実生活の面では分別が豊かでした。結婚生活の最初から不平一つ、口答え一つせずに夫に従い、夫の精神的優越を認めて文句なしに尊敬していました。
作者は「特筆すべきことに」と前置きして、二人はこれまでの一生、ごく必要な目先のこと以外は、互いにほとんど口を聞きませんでした。
「グリゴーリイ」は重々しく威厳があり、自分の仕事や心配事はいつも一人で考えるので、自分が助言するなんてことは必要ないと、「マルファ」は昔からきっぱり割りきっていました。
彼女は自分の沈黙を夫が好ましく思い、むしろそうすることに自分の知恵があるのだと夫が認めてくれているのだと感じていました。
そんな「マルファ」を「グリゴーリイ」はたった一度だけ殴ったことがありました。それも軽くですが。
それは、「アデライーダ」と「フョードル」が結婚した最初の年のことです。
1861年の農奴解放の23年くらい前ですね。
そのころはまだ農奴だった村の娘や女房たちが、歌と踊りのために地主屋敷に集められたことがありました。
「地主屋敷」と書かれているのは、やはり「フョードル」の家のことでしょうか。
そして、『草原で』という歌がはじまったとき、当時まだ若妻だった「マルファ」がふいにコーラスの前にとびでると、一種独特なしぐさで『ロシア・ダンス』を踊りだしたのです。
彼女の踊りは、他の女房たちが踊る田舎風の踊りではなく、かつて裕福な「ミウーソフ」家で女中奉公をしていたころ、お屋敷の家庭劇場で、モスクワから招かれたダンス教師に教えられたとおりの踊り方でした。
「グリゴーリイ」は妻が踊るのを見ていましたが、一時間ほどしてから自分の小屋で、妻の髪を軽くひきすえてお仕置きしました。
しかし、お仕置きはそのとき一度きりで、生涯二度とくりかえされませんでした。
そして、「マルファ」もそれ以来ふっつりと踊りをやめてしまいました。
裕福な「ミウーソフ」家というのは、あの「ミウーソフ」の親戚で「フョードル」の最初の妻の「アデライーダ・イワーノヴナ・ミウーソフ」の家のことだと思いますが、しかし、『草原で』という歌はどんな歌でしょう。また、「マルファ」が「ミウーソフ」家でモスクワのダンス教師に教えてもらった『ロシア・ダンス』はどのようなものでしょう。
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