2017年1月13日金曜日

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「グリゴーリイ」と「マルファ」に、子供は授かりませんでした。

「グリゴーリイ」はどうやら子供好きらしく、そのことを隠そうともしませんでしたし、少しも悪びれずに態度で示したのでした。

というのは、「アデライーダ」が家出したとき、「グリゴーリイ」は三つになる「ドミートリイ」を手もとに引きとり、ほとんど一年近くも子供にかかりきりで、みずから髪をとかしてやったり、たらいで洗ったりまでしました。

たぶん「ドミートリイ」は三歳になったばかりだったかもしれません、四歳で「ミウーソフ」に引き取られますから。

その後、「イワン」と「アリョーシャ」の面倒までみましたし、おかげで頬びんたまで食らいました。

「だが、これはみな、すでに語ったことである。」、というのは「フョードル」の二番目の妻が亡くなって3ヶ月後のある夕刻「ヴォロホフ将軍の未亡人」がやって来て、酔っ払っていた「フョードル」に頬びんたを二発、召使小屋にいた「グリゴーリイ」も頬びんたをくらわせられたことですね。

「グリゴーリイ」が自分の子供のことで喜び、期待をもったのは、「マルファ」が身重だった期間だけでした。

これは、いつごろのことでしょうか、書かれてはいませんが、「フョードル」が結婚するだいぶん前のことになるでしょう。

しかし、いざ生まれてみると、その子は悲しみと恐ろしさとで彼の心を打ちのめしました。

生まれた子は六本指でした。

それを見るなり、「グリゴーリイ」は悲嘆にくれ、洗礼の当日までずっと黙りこんでいたばかりか、口をきかずにすむようにわざと庭へ出て行ったほどでした。

春でもあったし、彼は三日間ずっと庭の菜園で畝を起していました。

三日目に赤ん坊の洗礼をすることになっていましたが、このときまでには「グリゴーリイ」もすでに何事か思案し決心したようでした。

神父たちが顔を揃え、客が集まり、最後には当の「フョードル」まで名付親として召使小屋に足を運んできました。

そのとき、「グリゴーリイ」は突然この子は「洗礼なんぞ必要なさそうだ」と申し出ました。

彼は、大声でそう言ったわけでもなければ、弁舌さわやかに述べたわけでもなく、ぼそぼそと煮えきらない口調で言い、それとともに司祭を愚鈍そうにまじまじと見つめただけでした。

「それはまた、なぜです?」と快活なおどろきをこめて司祭がたずねました。

「なぜって、こいつは・・・化物でございますから・・・」と「グリゴーリイ」はつぶやきました。

「化物?化物とは何のことだね?」

「グリゴーリイ」はしばらく黙っていました。

「自然界が混乱を起しましたので・・・」と、きわめて曖昧ではありましたが、実にしっかりした口調で彼はつぶやき、どうやらそれ以上説明したくないようでした。

みなは大笑いし、もちろん、気の毒な赤ん坊に洗礼しました。

「グリゴーリイ」は洗礼盤のわきで熱心に祈っていましたが、赤ん坊に対する意見は変えることはありませんでした。

「グリゴーリイ」の子供に関するこのあたりのくだりは、かなり印象的で衝撃的す。このような子を授かった場合の当時の常識は現在とは違っていたでしょう。今でも子を授かるという言い方をしますが、当時は神から授かるということだったでしょう。神がそのような子供を夫婦に与えたということです。ですから、そこには神の深い考えがあると考えるのです。このあとで、「グリゴーリイ」が「ヨブ記」を好んでよんだということが書かれているのですが、何も悪いことをしていないヨブが神によってひどい仕打ちを受けるという不条理が彼の立場と重なったのでしょう。現在、子を授かるという言い方をする場合は、自然から授かるということだと思いますが、その場合の自然が何を指しているのかはその人の心の中の問題でもありかなり曖昧です。

ここで「三日目に赤ん坊の洗礼をすることになっていましたが」とありますが、ネットで洗礼のことを調べると以下のような説明がありました。

「正教会では、洗礼を聖洗(せいせん)とも言い、受洗は領洗(りょうせん)ともいう。産後40日を経てからの幼児洗礼が通例。洗礼を施す日は原則として主日(日曜日)の朝、聖体礼儀に先立って行う。洗礼の意義を浸水に大きく見出し、浸礼を基本とするが、潅水もしばしば行われる。浸礼は川や海などで行われることもある。洗礼は「父と子と聖神(聖霊)」の名において施され、受洗者は3度水に浸される。原則として、受洗者は信仰の純潔を象徴する白い受洗衣をつける。」


「産後40日を経てからの幼児洗礼が通例」となっていますね。


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