その不幸な子は結局二週間しか生きられませんでしたが、「グリゴーリイ」はその子が生まれてから別に意地悪をするわけでもなく、しかし、ほとんど顔を見ることもせず、目にとめようとさえしないで、たいてい小屋を留守にしていました。
二週間後に赤ん坊は鵞口瘡(訳注 乳児の口内炎)のために死にました。「グリゴーリイ」はみずから小さな柩におさめてやり、深い悲しみをたたえて見つめ、小さな浅い墓穴に土がかけられると、ひざまずいて、地面に顔をすりつけるようにして墓前に祈っていました。
それ以来長い歳月の間に、彼は一度も赤ん坊のことに触れなかったし、「マルファ」も夫の前では決して赤ん坊を思いだそうとせず、たれかと《坊や》の話をする機会ができたりすると、その場に「グリゴーリイ」がいなくとも、ひそひそ声で話すのでした。
「マルファ」が言うには、彼はこの墓所のとき以来、もっぱら《神さまのこと》を学ぶようになり、たいてい一人で黙々と、そのつど大きな丸い銀縁の眼鏡をかけて『殉教者列伝』を読んでいました。
大斎期のとき以外は、声をあげて読むことはめったにありませんでした。
この「大斎期」のことについて「ウィキペディア」ではこう書かれています。
「四旬斎(しじゅんさい、英語: Great Lent)とは、キリスト教(正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、プロテスタント)において、復活祭を準備する期間。正教会では大斎(おおものいみ)、カトリック教会・ルーテル教会では四旬節、聖公会では大斎節と呼ばれるのが一般的である」
正教会では大斎(おおものいみ)というそうです。いろいろと複雑ですが、拾い読みすると「40日間続く大斎の祈祷においては、信者は、己個人の罪を痛悔するのみならず、人間の罪が来たったそもそもの起源とそれにもかかわらず注がれる無限の神の恩寵を思い、またキリストとその受難また十字架の勝利を予告する旧約中の予表に注意を傾注させ、その成就としてのキリストの受難と復活へ向かう。禁食やその他の節制は、このような神との交わりに人間が立ち返ることを準備するためのものである。大斎においては、シリアの聖エフレムの祝文など、大斎中にのみ行われる祈祷が多種類存在する。また時祷においても、通常と異なる祈祷文がしばしば付加される。」そして「また信者が私的に行う祈祷でも、朝晩の祈りにこれを加える。」とのこと。
「グリゴーリイ」は「ヨブ記」を好んで読んでいました。
「ヨブ記」については「『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、旧約聖書に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。ヘブライ語で書かれている。『ヨブ記』では古より人間社会の中に存在していた神の裁きと苦難に関する問題に焦点が当てられている。正しい人に悪い事が起きる、すなわち何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、という『義人の苦難』というテーマを扱った文献として知られている。」
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