2017年1月15日日曜日

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「グリゴーリイ」はどこからか《われらが神の体得者イサク・シーリン神父》(訳注 七世紀の隠遁者)の箴言・説教集を手に入れてきて、何年も根気よく読みつづけ、そこに書いてあることはほとんど何一つわかりませんでしたが、たぶんそれだからこそこの本をいちばん大切にし、愛読したのにちがいありませんでした。

この《われらが神の体得者イサク・シーリン神父》の箴言・説教集は、ずっと後になって、黄色い本ということで出てきます。

そして、「グリゴーリイ」はごく最近になって、たまたま近くでその機会に恵まれたため、鞭身教の教えに耳を傾け、学ぶようになって、どうやら感動を受けたらしいのですが、新しい宗派に移ろうという気は起こしませんでした。

「鞭身教」という言葉は、少し前に「フョードル」が修道院で神父たちに言いがかりをつけたときに使われていましたね。「神父さん、どうもあなた方は鞭身教(訳注 ロシア正教の一分派。禁欲と苦行を説いた)の傾向がありなさるようだ・・・」と。

「グリゴーリイ」の《神さまのこと》に関する造詣は、当然のことながら彼の容貌にいっそう重々しさを与えました。

もしかして、彼にはもともと神父主義的な傾向があったのかもしれません。


そのような彼なのですが、そこへもってきて、まるであつらえたように、六本指の赤ん坊の誕生とその死という出来事にぴったり時期を合わせて、さらに別の、のちに当人が表現したとおり、心に《刻印》を刻みつけたきわめて奇怪な、思いがけぬ、特異な事件が起こったのです。


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