二 リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ
暖かい五月の夜、「グリゴーリイ」と「マルファ」が六本指の赤ん坊を葬ったその日の夜のことです。
「フョードル」の家の庭の木戸の近くに風呂場があり、「グリゴーリイ」はそこで「リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」が赤ん坊を産みおとしたのを発見したのです。
なんとも、いくつかの偶然が、しかもそのひとつひとつがありえないような偶然が重なったまさに「特異な事件」と言うしかないような出来事ですね。
そして、これには、「グリゴーリイ」がかねてからいだいていた不快な、いまわしいある疑惑を決定的なものにして、深い衝撃を与えたある特別な事情がありました。
この「リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」というのは、死後この町の信心深い老婆たちの多くが目をうるませて回想したとおり、《一四〇センチそこそこ》しかない、非常に小柄な娘でした。
このとき、彼女の年齢は二十歳、健康そうな、幅の広い、血色のいい顔をしていましたが、完全に白痴の顔で眼差しは柔和ではありましたが、少しも動かず、不快な印象を与えていました。
一生の間、夏も冬も、粗末な麻の肌着一つに、はだしで通していました。
羊の毛のように縮れた、おそろしく濃い、ほとんど真っ黒な髪が、まるで何か巨大な帽子みたいに頭にかぶさっていました。
それだけではなく、いつも地べたや泥濘で眠るため、いつ見ても髪は土や泥にまみれ、木の葉や、木片や、鉋屑などがこびりついていました。
父親は身代をつぶした宿なしで病身の、「イリヤ」という町人で、酒に溺れ、もう長年の間この町の裕福な町人のもとに、下男といった形でころがりこんでいました。
「リザヴェータ」の母親はずっと以前に他界していました。
この「リザヴェータ」という名前は、この物語の中で三回目になります。
一回目は「ゾシマ長老」が修道院の表階段のところで祝福を与えた乳呑児、二回目は「ホフラコワ夫人」の車椅子の娘です。
『罪と罰』では、金貸し老婆の義妹で市場で古着を商う女でソーニャの友達ですが「ラスコーリニコフ」に殺されます。
この「リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」のような人はある意味で人間を超えた超人間的存在であり、神に近い者として、共同体の人々と特別な関係にあり、昔はよく見かけましたが、現在ではほとんど見かけなくなりました。
しかし、それは現在、目に見える形として見かけないだけであって昔から現在まで変わらぬ精神的な領域があるとすれば、そのシステムを支えるものとして、形を変えて存在しているのかもしれませんし、人間の精神的な深部に隠されて眠っているのかもしれません。
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