2017年1月18日水曜日

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「リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」の父親「イリヤ」は年じゅう病気がちで、ひねくれ者でした。

そして、彼女が帰ってくると、情け容赦なく打ちすえました。

しかし、彼女は、神がかり行者ということで、町じゅうどこでも食べさせてもらえたから、家に帰ることはめったにありませんでした。

「イリヤ」の主人だちも、当の「イリヤ」も、さらには主に商人や商家のおかみさんたちなど、町の情け深い人たちの多くも、一度ならず「リザヴェータ」に、肌着一つでいるよりはましな格好をさせようとしましたし、冬になるといつも皮外套を着せ、長靴をはかせてやるのでしたが、彼女はたいてい、おとなしく着せてもらって立ち去り、どこか、主に教会の入口あたりで、プラトークよし、スカートよし、皮外套よし、長靴よし、と恵んでもらったものを必ずそっくり脱いで、全部その場に置きすて、それまでどおり肌着一つにはだしという姿で行ってしまうのでした。

プラトーク【platok】とは、「ロシアの民族的な女性用被り物で,季節を問わず用いられる。ふつうは四角い布切れ,またはニット地で,頭に被るほか,肩にかけたり,首に巻いたりする。原色の華やかな花柄が多く好まれる。民族的な被り物とはいっても,広く使用されるのは機械による大量生産が開始された19世紀半ば以降のことである。その時期以降,伝統的な被り物にかわって,農民,商人など広く一般庶民の間に流布するようになった。」とのこと。

あるとき、この県の新知事がこの町を視察に立ち寄ったことがありました。

知事は「リザヴェータ」を見て、やさしい心をいたく傷つけられ、報告のとおりそれが《神がかり行者》であると理解はしたものの、やはり、うら若い娘が肌着一つでさまよい歩いているのは良俗を乱すものだから、今後はこんなことのないようにと、注意を与えました。

しかし、知事が帰ってしまうと「リザヴェータ」は今までどおり放っておかれました。

やがて父親「イリヤ」が死にます。

それで、彼女は、町じゅうの信心深い人たちすべてにとって、みなし児としていっそう愛される存在になりました。

また実際、だれもが彼女を愛しているかのようでしたし、少年たちでさえからかったり、いじめたりしませんでした。

この町の少年たち、それも特に小学校の生徒なぞは腕白な連中ではありましたが。

彼女が知らぬ家へ入っていっても、だれひとり追いだそうとせず、むしろみんなかわいがり、小銭を恵んでやりました。

しかし、彼女はその小銭をもらっても受けとるなり、すぐに教会か刑務所の募金箱に入れてしまいました。

市場で輪形や三日月形の白パンをもらっても、必ず最初に出会った子供にその白パンをやってしまうか、でなければこの町のいちばん裕福な奥さんかだれかをよびとめて、与えるのでした。

奥さんたちもむしろ喜んで頂戴していました。

どうして「この町のいちばん裕福な奥さん」なのでしょうか。「最初に出会った子供」というのは納得できるのですが、あえて意図的に「この町のいちばん裕福な奥さん」というのは、実際にはそんなことはありうるのですが、作者の真意はどこにあるのでしょうか。

「リザヴェータ」自身の食事は、黒パンに水だけときまっていました。


よく彼女が金持の商店に立ちよって一休みするとき、こっちには高価な商品が、あっちには現金が放りだしてあるようなことがあっても、主人たちは、彼女の前でだとえ何千というお金をとりだして置き忘れても、ただの一カペイカも取ったりしないことを承知していましたので、決して警戒することもありませんでした。


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