2017年1月19日木曜日

294

「リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」の描写は長いですが、まだまだ続きます。

彼女が眠るのは、たまに教会の入口であったり、でなければどこかの生垣を乗りこえて(この町には今日でも塀の代りに生垣が数多くあるのだ)どこかの菜園であったりしました。

わが家、つまり死んだ父が世話になっていた主人の家へは、だいたい週に一度は顔を見せ、冬になれば毎日くることもありましたが、それも夜寝るときだけで、玄関の土間とか、牛小屋に泊るのでした。

世間では彼女がこんな生活に参らないのをふしぎがっていましたが、彼女にしてみれば、ただ慣れてしまっただけの話で、背丈こそ小さかったものの、体格は並みはずれて頑丈だったのです。

この町でも上流人士の中には、彼女は高慢さからそんなことをやっているのだと言い張る者もいましたが、どうもこれは当たっていません。

なにしろ一言もしゃべれないのですから、ときおりは舌を動かして唸るだけですので、この場合高慢さなど関係ないのです。

「さて、こんな出来事があった。」と作者はさりげなく書いていますが、これは先の展開を知っている人はわかるのですが、将来的に因縁めいた重大な結果をもたらす原因を読者に予想させることとなるのです。

もうだいぶ以前の話です。

あるとき、満月の明るい暖かな九月の夜、「われわれの概念ではもうきわめて遅い時刻に」夜遊びしてきたこの町の上流人士たち五、六人の、したたか者ばかりの酔払った一団が、クラブから《裏道づたいに》わが家に向っていました。

小路の両側には生垣がつづき、その向うには立ちならぶ家々の菜園が長くのびていました。

小路は、この町では時として小川とよぶならわしのある、悪臭のひどい細長い水溜りにかけ渡された木橋に通じていました。

生垣のわきの、いらくさと山ごぼうの茂みの中に、この一行は眠りこけている「リザヴェータ」の姿をみつけました。

一杯機嫌の紳士たちは笑いながら彼女をのぞきこむように立ちどまり、ありとあらゆる破廉恥な冗談をとばしはじめました。

ふいに、さる若い貴族の頭に、『だれでもいいが、こんなけだものを女として扱うことができるだろうか、なんなら今すぐにでも・・・』という、許しがたい問題に対するまったく常軌を逸した疑問がうかびました。

みなは、傲慢な嫌悪の色をうかべて、できないと結論しました。

ところが、たまたまこの一団の中に「フョードル」がいて、すぐさまとびだすなり、女として扱えるばかりか、むしろ大いに望むところだし、一種特別な刺激があっていい、などと言いきりました。

たしかに当時の彼は、あまりにもわざとらしいくらい道化の役割を押し売りし、なにかとでしゃばっては紳士たちを笑わせるのが好きで、うわべはもちろん対等の付き合いでも、実際のところみなの前ではまったくの下郎にほかなりませんでした。

これは、いつのことなのか、作者は書いています。

この出来事があったのは、彼が最初の妻「アデライーダ」の訃報をペテルブルグがら受け、帽子に喪章をつけたまま飲んだくれたり、乱行の限りをつくしたりしていた、ちょうどそのころで、あまりのひどさにこの町でいちばん極道な連中の中にさえ、彼を姿を見て眉をひそめる者があったほどでした。


この記述でわかりましたが、この出来事は「ドミートリイ」が三歳の時で、後に「フョードル」が殺害されるのですが、その時「リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」が産んだ子「スメルジャコフ」は二十四歳くらいになっていたと思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿