神ががり行として慕われていた「リザヴェータ」なのですが、「コンドラーチエワ」という裕福な商家の未亡人なぞは、まだ四月の末だというのに、「リザヴェータ」をわが家に引きとり、お産まで外に出さぬよう指図したほどでした。
監視は厳重でした。
しかし、それほどの厳重さにもかかわらず、結果的には、「リザヴェータ」がいちばん最後の晩になって、ふいにこっそり「コンドラーチエワ」の家をぬけだし、「フョードル」の家の庭にあらわれたのです。
身重の彼女がどうやって高い頑丈な塀を乗りこえたのかは、一種の謎として残りました。
「手を貸す者があったのだ」と言う人もあれば、「なにか目に見えぬ力によって運ばれたのだ」と説く者もありました。
しかし、やはり、たとえきわめてむずかしくとも、ごく自然にすべてが行われたのであり、野宿するために生垣をよじのぼってよその菜園にもぐりこむのが得意だった「リザヴェータ」は、「フョードル」の塀になんとか這いあがり、身重にもかかわらず、身体にさわるのを承知で庭にとびおりた、というあたりが、いちばん確かなことでしょう。
「フョードル」の家で産んだのは因縁めいています。
あの夜、「グリゴーリイ」は「マルファ」のところへ駆けもどると、「リザヴェータ」の介抱に彼女をやり、自分は折りよく近所に住んでいた町人の産婆をよびに走りました。
そして、赤ん坊は助かりましたが、「リザヴェータ」は明け方、息をひきとりました。
「グリゴーリイ」は子供を抱きあげて、家に連れてゆき、妻を座らせると、その胸にあてがうように子供を膝にのせてやりました。
「神の御子であるみなし児は、すべての人にとって血縁というが、わしらにはなおさらのことだ。これは、死んだうちの坊やが授けてくれたんだよ。これは悪魔の息子と、信心深い娘との間にできた子供だ。育ててやれ、これからは泣くんじゃないぞ」
こうして「マルファ」は子供を育てることになりました。
洗礼を授け、「パーヴェル」と名づけましたが、父称はだれ言うとなくひとりでに「フョードロウィチ」(訳注 フョードルの息子ということになる)と呼ぶようになりました。
「フョードル」はすべてを必死に否定しつづけてはいたものの、べつに反対もせず、むしろおもしろがってさえいました。
彼が捨て子を引きとったことは、町では好評でした。
のちに「フョードル」はこの捨て子に苗字を考えてやりました。
母親の綽名「スメルジャーシチャヤ」にちなんで、「スメルジャコフ」と名づけだのです。
「スメルジャーシチャヤ」という綽名は「悪臭のひどい女という意味」ですが、それにちなんだ苗字というのは「フョードル」もひどいものだと思いますが、そんなものではないのでしょうか。
この「スメルジャコフ」が「フョードル」の第二の召使になり、この物語のはじめのころ、「グリゴーリイ」と「マルファ」の老夫婦といっしょに離れで暮していました。
その時には、母屋には「フョードル」と息子の「イワン」が住んでいましたね。
「スメルジャコフ」はコックとして使われていました。
「この男についても特にいろいろ話しておく必要が大いにあるのだが、読者の注意をそんなに長い間、ありふれた召使たちのほうにそらせておくのは、わたしとしても心苦しいので、スメルジャコフについてはいずれ小説がすすむにつれて触れることになるだろうと期待して、物語に移ることにしよう。」と作者は書いています。
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