「アリョーシャ」は明日になれば「フョードル」が自分をまた修道院に送り返すに決まっているし、ことによると今日にも送り返すかもしれないことがわかっていました。
それに、「フョードル」がほかのだれかをならともかく、この自分を侮辱する気など起こしっこないという自信も十分にありました。
それだけではありません。
「アリョーシャ」は、世界中のだれ一人、決して自分を侮辱しようなどと思わぬことを、いや、単に思わぬばかりか、侮辱するはずもないことを確信していました。
彼にとってこれは、理屈ぬきにきっぱりと与えられた公理だったので、その意味では彼はなんのためらいもなく、先へ進んでゆくことができました。
これは、自分は全く何もやましいことはない、だから正々堂々と世間に対峙しうるという言いようもないような自信過剰であると思います。
若いので仕方がないかもしれませんが、一歩間違えば傲慢ということにもなりかねませんね。
しかしそんな彼にもある一面だけは例外の部分がありました。
「アリョーシャ」は、今この瞬間、心の中にうごめいていたのは、まるきり違う性質の、自分でもはっきり説明できそうもないだけによけいやりきれぬ、ある別の恐れでした。
それは、女性に対する恐れなのでした。
具体的は、先ほど「ホフラコワ夫人」に託してよこした手紙のことで、用事があるから寄ってほしいと有無を言わさぬ口調で頼んできた「カテリーナ」に対する恐れでした。
これは、「ホフラコワ夫人」の娘「リーザ」が「アリョーシャ」に手渡した手紙のことですね。
「この要求と、必ず行かねばならぬ必要性とが、とたんに彼の心に何かやりきれぬ感情を植えつけ、その後つづいて修道院や、さらに今しがた修道院長のところで起ったさまざまの騒動や事件にもかかわらず、この感情は昼食までの間ずっと、時がたつにつれてますますはげしく、苦しく、痛み続けた。」
「昼食までの間」と書かれていますが、「アリョーシャ」はまだ昼食はとっていませんが、どこで食べて、それから枕と布団を担いで「フョードル」の家に帰るのでしょうか。
実は、ここではまだ書かれていませんが、「アリョーシャ」が昼食をとったのは、さきほど騒動の事情を聞いた修道院長の台所で、パン一斤とクワスをコップ一杯という簡素な昼食でした。
実は、ここではまだ書かれていませんが、「アリョーシャ」が昼食をとったのは、さきほど騒動の事情を聞いた修道院長の台所で、パン一斤とクワスをコップ一杯という簡素な昼食でした。
要するにこういうことです。
「アリョーシャ」はどんなことよりも「カテリーナ」に会うのが一番嫌だったのです。
「アリョーシャ」はどんなことよりも「カテリーナ」に会うのが一番嫌だったのです。
「リーザ」から手紙を渡された時に「アリョーシャ」の顔がひどく気がかりそうになりましたと書かれていました。
その時に「ホフラコワ夫人」は「アリョーシャ」に説明しています。
つまり、「ドミートリイ」のことや、最近のいろいろな出来事のことで、「カテリーナ・イワーノヴナ」が今ある決心をしたので、詳しくは自分も知らないがとにかく、なるべく早く会いたいということでした。
「アリョーシャ」が恐れたのは、「カテリーナ」がいったい何の話を持ちだし、自分がどう答えてよいかわからないということではありませんでした。
では、何をそんなに恐れているのでしょうか。
それは別に、「アリョーシャ」が彼女の内なる女性を恐れたわけでもありませんでした。
「彼女の内なる女性」とは、おもしろい言い方ですね。
彼はもちろん、女というものをろくに知りませんでした。
しかし、ごく幼い時から修道院に入るまで、ずっと女ばかり相手に暮らしてきたのです。
「アリョーシャ」は四歳くらいの時、母親が死んですぐに「ヴォロホフ将軍の未亡人」に引き取られ、その後、彼女の筆頭相続人で篤実な人「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」一家に、それから彼の親戚らしい二人の婦人の家に引きとられ、二十歳になって「フョードル」の家に帰りました。
0 件のコメント:
コメントを投稿