2017年1月7日土曜日

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「グリゴーリイ」の妻「マルファ・イグナーチエヴナ」は夫の意志に文句ひとつ言わずに一生従ってきました。

しかし、げんなりするほどのしつこい一面があり、たとえば農奴解放の直後、「フョードル」から暇をもらってモスクワへ行って何か商売をはじめようと夫にせがんだことがありました。二人はちょっとした小金をためていたのです。

農奴解放については、「ウィキペディア」で、「農奴解放令とは1861年にロシア皇帝アレクサンドル2世によって発せられた条例。クリミア戦争の敗北でロシアは技術的、経済的な遅れを明らかにし、農奴制を取っていたならば農業においての資本主義的な発展を妨げると判断されたために農奴解放令が発せられる事となった。これに動揺する貴族たちに対して「われわれは遅かれ早かれこの問題を取り上げなければならない」「下からより上から始められる方がはるかによい」と述べて、側近の官僚とともに改革を主導した。農民にとっては高額な償却費用が必要となったり、解放後も事実上共同体に縛り付けられるなど不十分ではあったが、法的には農奴制が廃止され農民は自由を得る事となった。」と説明されています。

妻の提案に対して「グリゴーリイ」は即座に断定を下し、きっぱりと言いました。

『女はみんな誠意がないから』、下らぬことばかり言うが、たとえ相手がどんな人間であろうと、これまでのご主人のもとを去ったりすべきではない、『なぜなら、それが今の俺たちの義務だからだ』と。

そして「お前、義務ってものがいったい何だか、わかってるのか?」と「マルファ」に言いました。

「義務ってことはわかるけどさ、あんた、わたしたちがここに残るのがいったいどういう義務なのか、そこんとこがさっぱりわからないよ」と「マルファ」がひるまず答えました。

「それなら、わからなくたっていいけど、つまりそういうことなんだ。今後は口をきくな」と「グリゴーリイ」は言い、結局そのとおりになって二人は暇をとらず、「フョードル」が二人にわずかばかりの給料をきめて、それはきちんと払ってくれました。

「グリゴーリイ」にとっては、「目の前に設定され」た「変わることない真実として一つの点」が「フョードル」の召使としての自分であり、「ここに残っ」て「頑なほどまっすぐ歩み」つづけることが自分たちの「誠意」ということであり、「今の俺たちの義務」であるということでしょう。ですから「マルファ」の提案は認めらせません。

しかし、1861年の農奴解放令は、彼らにとって具体的にどのような変化をもたらしたのでしょう。

「グリゴーリイ」にとって、精神的にはあまり変化はないようですが、制度上何らかの有利な変化はあったと思われます。

このころの農奴制に関する統計が、「ウィキペディア」の注釈にありました。

「 1851年の統計では、領主(貴族所有)農民男子が約1099万人、国有地農民男子が約960万人、御料地(帝室領)農民男子が約127万人、さらに領主の家内奴隷としてはたらく下僕が53万人いた。それぞれ、男性の人口の40.4パーセント、35.3パーセント、4.7パーセント、1.9パーセントを占めた。」ということです。

「グリゴーリイ」たちは農奴ではないので、ここで言う「領主の家内奴隷としてはたらく下僕」でしょうか。そして、彼らも農奴解放令の対象になったのでしょうか。

「フョードル」が二人にわずかばかりの給料をきめて支払ってくれたと書かれていますので、それまでは給料制ではなかったのでしょうか。

しかし、これまでにちょっとした小金をためていたとありますから、これはどうしたお金なのでしょう。


「マルファ」が暇をもらってモスクワで商売しようと提案したのは、農奴解放令によって自由になれたからなのでしょうか。


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