「フョードル」はよく(といってもきわめてまれにだったが)、夜中に、ちょっと自分の部屋に来てくれるよう、「グリゴーリイ」を起しに離れへ出かけることがありました。
相手がやってくると、「フョードル」はおよそ下らぬことを話しはじめ、ときには冷やかしや冗談まで浴びせて、すぐに放してやるのですが、自分は唾を吐いて横になり、そのあとはもう聖者のようにぐっすり眠れるのでした。
文章の中で「よく(といってもきわめてまれにだったが)、」とありますが、内容が矛盾していますね。会話の中ではよくあることですが、文章の中でわざわざ括弧書きで矛盾する内容を付け加えることは少ないのではないでしょうか。ここは、「たまにではありますが」と一言であらわせるように思いますが、そうすると訳文そのままの表現と若干ニュアンスが違ってきます。訳文の方は、語り手が「フョードル」のこのような行為に対して客観的に突き放すというのではありませんが、少々あきれ顔で、説明しているという書き手の主観を反映したものとなっていると思います。
別の建物で寝ている相手を起こしに行ってまで、自分の話相手をさせるということは、それだけ相手とある一面においてではあるでしょうが、意識を共有する部分があるということでしょう。
「フョードル」の子供じみた一面ですね。
そこで、「グリゴーリイ」はこのことを家族にどう説明していたのでしょうか、また、妻の「マルファ」は何と言っていたのでしょうか。
「グリゴーリイ」が帰って来た離れでの召使一家の様子もいろいろと想像してしまいます。
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