会話の続きです。
「でも、俺はいつも裏街が好きだった。広場の裏の、ひっそりとした暗い横町がさ・・・そこには冒険が、思いがけぬ楽しみがある。泥濘(ぬかるみ)の中に天然の宝がひそんでいるからな。俺は比喩的に言ってるんだぜ。俺のいた町には実際にそんな裏街はなかったけれど、精神的にはあったんだ。しかし、もしお前が俺みたいな人間だったら、これがどういう意味か、わかってくれるだろうにな。俺は頽廃を愛し、頽廃の恥辱をも愛した。残酷さを愛した。これでも俺は害虫じゃないだろうか、毒虫じゃないだろうか?さっき言ったとおり、カラマーゾフだからな!一度、町じゅうでのピクニックがあって、七台のトロイカでくりだしたんだ。冬のこととて、真っ暗な橇(そり)の中で、俺は隣にいた娘の手を握りはじめて、強引にキスまで持っていった。可憐な、いじらしい、おとなしくて素直な、官吏の娘だったがね。させてくれたよ、暗闇の中でずいぶんいろいろなことを許してくれた。かわいそうに、明日にも俺が迎えに行って、プロポーズするものと思っていたのさ(なにしろ、大切なことに、俺は花婿候補として高く買われていたからな)。ところが俺はそのあと一言も彼女と口をきかずだ、五ヶ月もの間ただの一言もかけなかったんだよ。よくダンスなんぞしているとき(あそこじゃ、のべつダンスをしたもんさ)、広間の隅からその子の目がじっと俺を見守っているのに気づいたし、その目が炎に、おとなしい怒りの炎に燃えているのに気づきもした。そういう遊びは、俺が体内に飼っている虫けらの情欲を楽しませてくれるばかりなんだ。五ヶ月後に、その子は役人と結婚して、町を離れていったっけ・・・俺を恨み、それでもやはり、おそらく愛しつづけながらな。今じゃ幸せに暮らしてるよ。」
会話の途中ですが、ここで一旦切ります。
「ドミートリイ」は、まだ本題に入っていないですね。
しかし、近づいています。
これは彼の自己分析です。
人間も精神がなければ動物であって悩むこともないでしょうが、両方を持ち合わせているので、複雑になってきます。
「ドミートリイ」の話も、表面にあらわれた現象だけをなぞれば、そんな人間はいるでしょうし、そんなことは世間ではよくあることと言えるでしょう。
しかし、「ドミートリイ」の自意識は考えつづけ、その考えに今度は自己が規定され、その結果、それを自分の中にある特別な傾向性と捉えるのです。
そう考えるには、相手を理解し、客観性をもたせるための、もう一つの視点が彼の中にあるということです。
人間関係特に男女間においては一筋縄ではいかないのですが、そこに自己をみる機会があるかもしれません。
この会話は、「でも、俺はいつも裏街が好きだった。」からはじまっていて思いつきの無駄話っぽかったのですが、実は全然無駄のところのない、最初から実によく考えられた会話だと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿