2017年2月12日日曜日

318

「ドミートリイ」の会話の続きです。

「ところで、俺がそれをだれにも話さず、悪い評判も広めもしなかったことに、注意してほしいんだ。俺は卑しい欲望をいだき、卑しさを愛する男でこそあるけど、恥知らずじゃないんだよ。おや、赤くなったな、目がかがやいたぞ。こんな汚らわしい話は、お前にはもう十分だ。でも、こんなのはまだ、どうってことはないんだぜ、ポール・ド・コック(訳注 十九世紀フランスのメロドラマ作家)流の小手しらべさ、もっとも、残忍な毒虫はすでに育って、心の中でずんずん大きくなってはいたけれどな。これは、お前、完全に一冊の思い出のアルバムになるよ。神さまがあのかわいい娘たちに健康を授けてくださるといいんだがね。俺は女と手を切る際にも、いがみあわないのが好きなんだ。だから、決して秘密は洩らさないし、一度だって悪い評判を広めたことなんぞないよ。しかし、もういいや。まさかお前だって、こんな下らん話のために、わざわざここへよんだなんて、思わんだろう?そうじゃないさ、もっと興味のあることを話してやるよ、だけど俺が恥じ入りもせず、まるで嬉しがってるみたいだからって、おどろかないでくれよ」

ポール・ド・コックは、作者が若いころ愛読していた大衆作家だそうで、『白痴』にも出てきます。

彼は「いつまでも友人でいる最善の方法は、友人に金を貸さず、友人から金を借りないことである」などという言葉を残しています。

「ドミートリイ」は自分で「俺は卑しい欲望をいだき、卑しさを愛する男でこそあるけど、恥知らずじゃないんだよ」と言っていますが、私は前に(313)で「カラマーゾフ」的ということは①厚顔無恥の恥知らず、②色好み、③卑しい情欲、④神がかり行者、⑤愚か、⑥正直、⑦強欲と書きましたが、彼は①ではないようですし、④も⑦もないかもしれません。

ということは彼の性格を勝手に脚色すれば、かなり色好みで内面にはどうしようもない卑しい情欲を持ち合わせているが、ある面では人間としてのプライドが高いところもあり、また逆にある面では愚かなほど自分の気持ちに正直になれるところもある、ということでしょうか。

「ドミートリイ」の自己分析は客観的で徹底しており、今彼が生きるか死ぬかののうな緊迫した状況にいるとしても、それをそのまま相手に表現しているところは、普通の人間にはできないことだと思います。


それにしても「完全に一冊の思い出のアルバムになるよ」というセリフはおもしろいですね。


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