「ドミートリイ」の話の続き。
「でも、器量はいかにもロシア風で、なかなかわるくなかったし、背が高く、むっちりと肉づきがよくって、顔はまあいくらかぎすぎすしていたものの、目が実にきれいなんだ。いっこう嫁に行こうとせず、二度も縁談があったのに、断って、快活さをなくさないんだよ。俺はこの娘と仲よくなった-といっても、妙な意味じゃないぜ、そうじゃないんだ。きれいな仲で、ただの友達付合いだよ。俺はよくいろいろな女性と、まったくきれいな、友達としての付合いをしてきたからな。俺はよく彼女を相手に、それこそわっと耳をふさぎたくなるような露骨なことをしゃべったけれど、彼女はけらけら笑うだけなんだ。たいていの女は露骨な話を好むもんだぜ、おぼえとけよ、そこへもってきて相手がまだ娘だってことが、俺にはひどく楽しかったんだな。おまけにもう一つ、彼女をお嬢さんとよぶのは、どうにもむりなんだよ。叔母さんといっしょに父親のもとで暮していたんだが、どういうわけかみずから卑下して、社交界の他の連中と対等に付き合おうとしないんでね。でも、みんなに愛されていたし、腕のいい裁縫師だったから、必要とされてもいた。才能もあるうえ、仕立代をとらずに、好意でやってくれるんだ。もっとも、お礼をあげれば、断わりはしなかったけどね。ところで、当の中佐となると、大違いさ!中佐は町いちばんの名士の一人だったからな。派手な暮しぶりで、やれ晩餐会だ、舞踏会だと、町じゅうを招いたもんだ。俺が赴任して、大隊に入ったころ、ちょうど、もうすぐ首都から中佐の二番目の令嬢がこの町にお見えになるという噂が、町じゅうに流れはじめた。なんでも絶世の美人で、首都のさる貴族女学校を卒業したばかり、ということだった。この二番目の娘というのが、ほかでもない、あのカテリーナで、こっちはこう二度目の細君の子供なんだよ。二度目の細君てのは、もう故人だったけれど、さる名門の偉い将軍の娘だったとかで、もっとも、俺が確実に知っているかぎりじゃ、やはり持参金は全然持ってこなかったそうだ。つまり、いい親戚はあっても、先行きなにがしかの希望を除けば、それだけのことで、現金は何もなかったんだ。ところで、いよいよその女学校出がやってくるや(といっても、すっかり帰ってきたわけじゃなく、遊びにきただけなんだが)町全体がすっかり面目を一新したようになって、いちばんの上流夫人である、将軍夫人ふたりと、大佐夫人ひとりをはじめ、みながそれにつづいてすぐに仲間入りして、彼女をちやほやし、楽しませにかかって、舞踏会だのピクニックだのの女王に祭りあげ、お付きの家庭教師か何かのためには活人画なんぞ催してやる始末さ。俺は口をきこうともせず、遊びまわっていたし、町じゅうが大騒ぎするような、ある突拍子もないことをやってんけたのも、まさにそのころだったよ。気がつくと、ある日、砲兵大隊長の家でだったが、彼女が俺を頭から足の先まで眺めていたことがあった。でも、そのときはこっちはそばにも寄らなかったんだ。お付合いなんぞ願い下げだ、と言わんばかりにね。俺が彼女に近づいたのは、その後もう数日たってからで、やはり夜会の席で話しかけたんだが、相手はろくに見ようともせず、軽蔑するように唇を結んでるじゃないか。今に見ろ、仕返ししてやるから、と思ったね!俺は当時たいていの場合、おそろしく礼儀知らずだったし、自分でもそれを感じていたもんだよ。肝心なのは、《カーチェニカ》(訳注 カテリーナの愛称)が無邪気な女学生というわけじゃなく、気性のしっかりした、気位の高い、事実また品行方正な女性で、なによりも知性と教養をそなえた人間なのに、俺にはそのどちらもないってことを感じた点なんだ。俺がプロポーズする気になったとでも思うかい?とんでもない、俺がこんなイカす若者なのに、彼女が感じてくれないことに、仕返ししようと思っただけさ。が、さしあたりは放蕩三昧と荒くれってわけだ。ついには中佐が営倉に三日間ぶちこんだほどだったよ。」
会話の途中ですがここで切ります。
ここまでの内容は、昔「ドミートリイ」が上司の娘ふたりにどうしたこうしたという話で、うちひとりがあの「カテリーナ・イワーノヴナ」ということです。
この時の任務地はコーカサスだと思うのですが、そこに中佐と叔母さんと「アガーフィヤ・イワーノヴナ」が住んでいて、「カテリーナ・イワーノヴナ」は一時的に遊びに来ているだけですの、彼女はどこに住んでいるのでしょうか。
作者はお金のことは気を使っていて、中佐の二番目の妻が偉い将軍の娘であるにもかかわらず持参金がなかったということをきちんと書いており、ここでも今後の展開から読者がお金のことについてひっかかることを前もって予想しているかの注意深さです。
そして、「カテリーナ・イワーノヴナ」ですが、最初彼女が「ドミートリイ」のことに興味をもったようですが、彼は町じゅうにちやほやされていることが気に入らなかったのか、それ以外の理由からか知りませんが、彼女を無視する態度をとり、その後数日たって「ドミートリイ」の方から声をかけたときに、今度は彼女が無視するような態度をとったことに彼は頭にきたと言っています。
これは、たぶんその数日の間に、父親である中佐からか誰からかが「ドミートリイ」の普段の行状について悪く言ったからなのでしょう。
「活人画」とは、「ウィキペディア」では「活人画(仏: Tableau vivant)とは、適切な衣装を身につけた役者や芸術家の集団が、注意深くポーズをとって絵画のような情景を作ること。しばしば、演劇的な照明を伴う。展示している間は、演者はしゃべったり動いたりしない。したがって、この手法は絵画や写真といった芸術手法と結合し、現代の写真家を惹きつけた。タブロー・ヴィヴァンとも。活人画が最も人気を呼んだのは、19世紀のヌードの活人画であった。」と書かれていました。
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