「アリョーシャ」は「兄さん、僕には兄さんが本当のことをすっかり話してくれるのが、わかっているんです」と胸をどきどきさせながら言いました。
「アリョーシャ」はここまでの「ドミートリイ」の話の内容のことではまったくなく、妙なことを言いますね。
彼は、当然「ドミートリイ」の話は注意深く聞いていたでしょうし、同時にもう一つの視線があって、それは今ここで彼が自分のことを話しているということがどういうことか何を意味しているかを見ていたのではないでしょうか。
それがどのような視線かわかりませんが、「本当のことをすっかり話してくれるのが、わかっているんです」と妙な応対になっていると思います。
「ドミートリイ」が話はじめます。
「本当のことを話すとも。本当のことをすっかり話すとなると、自分を容赦せずに、ありのまま話さにゃならんのだ。最初にうかんだ考えは、いかにもカラマーゾフ的なものだった。俺はね、前に一度、ムカデに刺されて、熱をだして二週間も寝こんだことがあるんだよ。ちょうどそのときみたいに、今も突然、その毒虫のムカデが心臓に噛みつくのを感じたんだ、わかるかい?俺は頭から足の先まで彼女を眺めまわした。お前、あの人を見たことがあるだろう?まさしく美人だろ。ところが、あのときの彼女の美しさは、また違うんだ。あの瞬間の美しさは、彼女が高雅なのに俺のほうは卑劣漢であり、彼女がおおらかな心で父のためにわが身を犠牲にしようとする崇高さに包まれているのに、俺のほうは南京虫にすぎない、ということからきていたんだよ。しかも、彼女のすべて(3文字に上点)、心も身体もひっくるめてすべてが、南京虫であり卑劣漢である、そんな俺しだいでどうにでもなるんだからな。身体の線がはっきりわかったっけ。正直に言うと、その考えが、ムカデの考えが俺の心をしっかりとらえてしまったために、悩ましさだけで心が危うく融けて流れるところだったほどだ。もはや、どんな内心の葛藤もありえないという気がした。南京虫か、獰猛な袋蜘蛛にふさわしく、いささかの憐れみもなしに行動すればいいんだから・・・息がつまるほどだったよ。」
一旦切ります。
「ムカデ」=カラマーゾフ的で、「南京虫か、獰猛な袋蜘蛛」=「ドミートリイ」です。
崇高なものをめちゃめちゃに壊してしまいたいという衝動は三島由紀夫の『金閣寺』の主人公を思い出しました。
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