「アリョーシャ」は言います。
「でも僕は、あの人が愛しているのは兄さんみたいな人で、イワンのような人じゃないと、信じていますよ」
これは、どういうことでしょうか、なぜなのかその理由を「アリョーシャ」に聞いて見たいものです。
しかし、「ドミートリイ」は言います。
「彼女が愛しているのは自分の善行で、俺じゃないんだよ」と、ふいに口をついて、心ならずも、ほとんど憎悪に近い調子で、こんな言葉がとびだしました。
そして「ドミートリイ」は笑いだしました。
しかし、一瞬後には目がぎらりと光り、顔じゅう真っ赤になって、力まかせに拳でテーブルをたたきました。
「誓ってもいいよ、アリョーシャ」と彼は自分自身に対する恐ろしい、真実の憤りをこめて、彼は叫びました。
そして、「信じようと信じまいと勝手だが、神が神聖であり、キリストがわれらの主であることにかけて誓うよ。俺は今彼女の崇高な感情をせせら笑いこそしたけれど、彼女にくらべて俺の魂が百万倍も下らないってことや、彼女の立派な感情が天上の天使に見られるような真実のものだってことは、俺も承知しているんだ!それをちゃんと承知している点に、悲劇もあるわけさ。人間がちょっとばかり演説口調で話したからといって、それがどうだっていうんだい?ほんとに俺は演説口調じゃないかね?でも俺は真剣なんだ、真剣だとも。ところでイワンのことだが、彼が今どんな呪いをこめて自然を眺めざるをえないか、俺にはよくわかるんだ、おまけにあれほどの知性をそなえていてさ!だって、選ばれたのはいったいどっちだと思う?選ばれたのは、人でなしだ。この町に来ても、すでに婚約者の身でありながら、みなの見守る中で、それもフィアンセの目の前で乱行を抑えることができないような人でなしなんだ、フィアンセの目の前でだぜ!俺みたいな男が選ばれて、イワンは振られたんだ。でも、いったいなぜだ?それは、清純な娘が感謝の念から自分の一生と運命とをむりやり凌辱しようとしているからさ!愚劣だよ!俺はそんな意味のことは、いまだかつてイワンには何一つ話さなかったし、イワンももちろん、このことに関してはついぞ一言半句も、ごく些細なほのめかしも口にしたことはないがね。だが、やがて運命が定まって、ふさわしい人間が地位につき、ふさわしくない者は永久に裏街に姿を消すことになるんだ-汚い裏街に、自分の性に合った大好きな裏街にもぐりこんで、そこの泥濘と悪臭の中で、快楽に包まれながら好きこのんで身を滅ぼしていくのさ。俺はどうも何か嘘っぱちを並べちまったな、まるで口から出まかせみたいに、言葉がみんな陳腐になっちまったけど、でも俺の決めたとおりになるさ。俺は裏街に溺れ、彼女はイワンと結婚するだろうよ」
「ドミートリイ」は力を込めて「誓ってもいいよ」と言うのですが、これは何のことを言っているでしょうか。
「カテリーナ」の崇高で立派な感情が偽物ではなく本当のものであるということでしょうか。
「ドミートリイ」は彼女が恩を返すために自分を犠牲にしていると考えていますが、そうすると二人の関係はもはや対等ではなく歪んだ関係となります。
しかし、そのように考えること自体がこの三角関係を愛という純粋な観点から考えることから遠ざけることがわかっているので、「ドミートリイ」も「イワン」もこのとこに触れることを意識的に避けているのです。
そして、「ドミートリイ」には自分だけにわかっていることがあります。
それは、彼が「カテリーナ」を捨てて「グルーシェニカ」のところに行くと決めていることです。
自分のことを『あなたご自身からあなたを救ってさしあげたいのです』とまで言ってくれている天使のような「カテリーナ」より、たとえそれが身を滅ぼすことがわかっていても、自分の欲望のおもむくままに泥濘と悪臭の中の快楽を選ぶのです。
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