「ドミートリイ」は立ちあがって、考えこんで、額に指をあてました。
「彼女のほうからお前をよんだんだな、手紙か何かよこしたのか、だからお前だって行くんだろうに、でなけりゃお前が行くはずはないものな?」
「ドミートリイ」の勘は当たっていますね、それに「アリョーシャ」の方から「カテリーナ・イワーノヴナ」に会う必要がないわけですし、「リーズ」からその手紙を渡された時に、彼女は、あの人は修行中の身なので絶対に行かないと母親に話したと言ったと書かれていましたので、修行中の僧は余程のことがない限りそういう外出は認められなかったのでしょう。
「これが手紙ですよ」と「アリョーシャ」はポケットから手紙を出しました。
「ドミートリイ」はすばやく走り読みしました。
この手紙は、前に「来てほしいという切なる頼み以外、何の説明もない謎ありげな短い手紙」と書かれていました。
「これで裏道づたいに来たというわけか!ああ、神さま!弟を裏道づたいに来させて、わたしに出会わせてくださって、ありがとうございます、ちょうどお伽噺の黄金の魚が年とったばかな漁師の網にかかったように。いいかい、アリョーシャ、きいてくれ。今こそ俺はもう何もかも話すつもりでいるんだ。せめてだれかに言っておく必要があるんだよ。天井の天使にはもう話したのだが、地上の天使にも話しておかなけりゃ。お前は地上の天使だからな。すっかり話をきいて、判断して、赦してくれ・・・俺には、だれか自分より立派な人間に赦してもらうことが必要なんだ。あのね、もし二人の人間がふいにいっさいの地上的なものと縁を切って、異常な世界へとび去ってゆくとしたら、でなけりゃ、少なくともそのうちの一人が、とび去るなり、身を滅ぼすなりする前に、もう一人のところへやってきて、僕のためにこれこれのことをしてくれと、いまだかつてだれにも頼んだことがなく、臨終の床に横たわってはじめて頼めるようなことを言ったとしたら、はたして相手はそれをきかずにいられるだろうか・・・もし親友であり、兄弟であるとしたら?」
ここで「ドミートリイ」の言う「お伽噺の黄金の魚が年とったばかな漁師の網にかかった」とは、1812年に出版された『グリム童話集』のことでしょう。
こんな話です。
KHM 85 黄金の子ども
貧乏な漁師の夫婦がいました。ある日漁師は海で金の魚を網ですくいました。金の魚は命乞いをして漁師に御殿とお料理の出る戸棚を引き換えに、そしてこのことは誰にも話さないという約束をしました。家に帰ると御殿と料理があり、驚いた女将さんはしつこく理由を聞き出し、秘密を洩らしたら御殿と料理は消えうせました。もう一度漁師は金の魚を捕らえ、御殿と料理を得ますが再度女将さんにばらしてもとの黙阿弥になります。3度目に金の魚と捕えると、6つに魚の身を切って、二切れは女将さんに食べさせ、二切れは馬にやって、二切れは地面に埋めると福を授かると約束しました。女将さんは二人の黄金の子を生み、地面からは二本の金のユリが生え、馬は二頭の金の子馬を生みました。金の子どもは大きくなって旅をしましたが、黄金の体なので人から馬鹿にされ,1人の息子は家に帰りました。1人の息子は熊の毛皮を着て森には入り、美しい娘に会って結婚しました。ある日鹿を追って深い森にゆき魔法使いの女によって石ころに変えられました。家の黄金のゆりの花が倒れたことでこの変を知った弟が魔法使いを退治して兄を助け出し、二人の兄弟は幸せな人生を過ごしました。
「ドミートリイ」の話でわからないのは、後半の部分で、「もし二人の人間がふいにいっさいの地上的なものと縁を切って、異常な世界へとび去ってゆくとしたら、でなけりゃ、少なくともそのうちの一人が、とび去るなり、身を滅ぼすなりする前に、もう一人のところへやってきて・・・」という部分です。
「二人の人間」というのは、「ドミートリイ」と「グルーシェニカ」でしょうか、そして心中するとか失踪するとかいうことでしょうか、「少なくともそのうちの一人が」というのは、「ドミートリイ」のことだと思いますが、「もう一人のところへ」というのが、誰をさしているのかがわかりません。
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