2017年2月4日土曜日

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「ドミートリイ」の質問はよくわかりませんが要するに、臨終の席で最後の頼みごとをされたらきいてくれるだろうか、という単純な内容だと思います。

「アリョーシャ」は「僕ならはたしますね、でも、いったい何なのか、言ってください、早く言ってくださいよ」と言いましたが、これは読者の声でもあるでしょう。

「早く、か・・・ふむ。あせるなよ、アリョーシャ。お前は急いでるもんで、心配なんだな。今となっちゃ、べつにあわてることはないさ。今や世界は新しい道へ踏み出したんだ。ああ、アリョーシャ、お前が感きわまるまで考えぬいたことがないのは、残念だよ!もっとも、俺は何を言ってるんだろう?お前が考えぬいたことがない、だなんて!俺も間抜けだな、何を言ってるんだろう?
人間よ、気高くあれ!(ゲーテの詩『神性』の一節)
これはだれの詩だっけ?」

そうですね、「アリョーシャ」は急いでいるんです。

このあたりは、物語の進行に読者の気持ちが随行しているように思います。

「アリョーシャ」が急いでいるのは、「枕も敷布団もかついでくるんだ、こんなところにお前の匂いも残さんようにしろ」と言った「フョードル」のところへも行く必要があったからですね。

前にこう書かれています。

「おまけに父が待っているし、ことによると先ほどの命令をまだ忘れずに、気まぐれを起こしかねなかったから、どちらへも間に合うよう急がなければならなかった。」

しかし、「ドミートリイ」は「フョードル」が「枕も敷布団もかついでくるんだ、こんなところにお前の匂いも残さんようにしろ」と叫んだことを知らないのですから、「今となっちゃ、べつにあわてることはないさ」と、そんなに呑気な話をしているのですね。

彼は、「カテリーナ・イワーノヴナ」のことなら、自分がその件について何もかも全面的な決定権をにぎっていると思っているのでしょう。

そして、「アリョーシャ」に「お前が感きわまるまで考えぬいたことがないのは、残念だよ!」と言ったことを反省して、「人間よ、気高くあれ!」というゲーテの詩『神性』の一節を口にします。

全文は以下のような詩です。

『神性』
人間は気高くあれ、
情けぶかくやさしくあれ!
そのことだけが、
我らの知っている
一切のものと
人間とを区別する。

我ら知らずして
ただほのかに感ずる
より高きものに幸あれ!
人間はそのより高きものに似よ
人間の実際の振舞いが
それを信じさせるようであれ。

自然は
無感覚だ。
太陽は
善をも悪をも照らし、
月と星は
罪人にもこの上ない善人にも
同様に光り輝く。

風と溢るる流れと
雷鳴とあられとは
ざわめきつつ進み、
だれ彼となく捕らえては、
急ぎ通り過ぎる。

同じように運命も
人々の中に探りの手を入れ、
少年のけがれない
巻き毛を捕らえるかと見れば、
罪を犯せる
はげ頭をも捕らえる。

永劫不変の
大法則に従い、
我らはみな
我らの生存の
環をまっとうしなければならぬ。

ただ人間だけが
不可能なことをなし得(う)る。
人間は区別し
選びかつ裁く。
人間は瞬間を
永遠なものにすることができる。

人間だけが、
善人に報い、
悪人を罰し
癒し救うことができる。
またすべての惑いさまよえる者を、
結びつけ役立たせる。

我らはあがめる
不滅なものたちを。
彼らも人間であって
最上の人間が小さい形で
なし、あるいは欲することを
大きな形でなすかのように。

気高い人間よ、
情けぶかくやさしくあれ!
うまずたゆまず
益あるもの正きものをつくれ。
そしてかのほのかに感ぜられた
より高きもののひな型ともなれ!


新潮文庫「ゲーテ詩集」高橋健二訳より


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