「ドミートリイ」は、マイペースで詩などまた引用しています。
「人間よ、気高くあれ!」というゲーテの詩『神性』の一節ですが、ゲーテという名前は「ドミートリイ」からは出てきませんが、これからの会話の中にも長文の詩が引用されるところをみるとかなりの知識人と言えるでしょう。
だから、「アリョーシャ」は待つことに決めました。
「アリョーシャ」は本当は急いでいるんですが、ここでは「ドミートリイ」がこのような調子ですから合わせるしかないと思ったのでしょう。
実際に、「アリョーシャ」は自分の仕事はすべて、今やここだけにあるのかもしれないと、さとったのです。
「ミーチャ」はテーブルに片肘をつき、掌に頭をのせて、しばらく考えこんでいました。
二人とも黙っていました。
今まで「ドミートリイ」と書かれていましたが、ここで急に「ミーチャ」という愛称に変わっていますが、何か意味があるのでしょうか。
確かに、「ミーチャ」と呼んだ方がこの場の二人の関係がより密着した親密なものになり物語にぐっと引き込まれるように感じます。
「アリョーシャ」と「ミーチャ」が言いました。
「お前だけは笑わないだろうな。俺はこの告白を・・・シラーの歓喜の歌で・・・はじめたいんだ。『歓喜の歌(アン・ディ・フロイデ)』!だけど、俺はドイツ語を知らないんでな、知っているのはアン・ディ・フロイデだけさ。酔払いのおしゃべりだなんて思わんでくれよ。俺は全然酔ってやしないんだから。コニャックはまさにコニャックにちがいないけど、俺が酔払うには二壜は必要だよ。
さて赤ら顔したシーレン(訳注 酒神バッカスの従者シーレーノス)は、
足どりふらつく驢馬にのり、
どころが俺は一壜の四分の一も飲んじゃいないから、シーレンじゃない。シーレンどころか、強靭(シリヨーン)なもんだ。きっぱり決心したんだからな。駄洒落なんぞ言ってごめんよ。今日はお前には、駄洒落どころか、いろいろ赦してもらわなきゃいけないんだ。まあ心配するな、そう脱線はしないさ。用事の話をしているんだから、すぐ用件に入るよ。むだ話をするつもりはないんだ。待てよ、あれはどういうんだっけ・・・」
彼は首を起して、考えこみ、だしぬけに感激調で唱えはじめた。
「裸の未開な穴居民族は
おずおずと岩山の洞窟に身を隠し、
遊牧民族は野をさすらって
田や畑を踏みあらす。
狩猟の民は槍や弓矢を持ち、
剣幕もおそろしく森を駆けめぐる・・・
身を隠す場所もない岸辺に
波に打ち捨てられし者こそ哀れなれ!
母なるケレース(訳注 ローマの豊穣の女神)は
さらわれしペルセポネー(訳注 冥界の王ハーデースが彼女に恋して、さらった)
のあとを追い
オリンポスの山を駆けくだる。
眼下には荒れはてた土地が横たわり、
安らぎの場所も、女神のためのもてなしも
そのあたりのいずこにもなく、
どの神殿を見ても
敬神の色さえ見あたらず。
野の実りや、甘きぶどうの房が
うたげの席をいろどることもなく、
血ぬられし祭壇には
屍の残りがただくすぶるのみ。
悲しみの眼差しもて
ケレースがいずこを見ても、
いたるところ、目に映るは
深き屈辱に泣く人の姿ばかり!」
嗚咽がふいに「ミーチャ」の胸奥からほとばしりでました。
彼は「アリョーシャ」の手をつかみました。
0 件のコメント:
コメントを投稿