2017年2月8日水曜日

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「ドミートリイ」の話はまだ続きます。

そして再び詩の引用です。

「神の子なる人の魂を
永遠の喜びはうるおし、
発酵の神秘な力もて
生の杯を燃えあがらせ、
小草を光にいざない、
混沌を育てて太陽となし、
星占いの力にあまる
広大な空間にみちあふれる。

恵み深き自然の乳房より
生あるものすべてこの喜びを吸い、
すべての生きもの、すべての民を
この喜びがひきつける。
不幸に沈むわれわれに友と、
ぶどうの露と、美の女神の冠とをさずける。
情欲は虫けらに与えられたもの、
だが天使は神の御前に立つ。
(訳注 これがシラーの『歓喜の歌』第四節、第三節であるが、詩句はだいぶ異なっている)」

訳注にあるように、これが『歓喜の歌』ですが、「ドミートリイ」が「俺はこの告白を・・・シラーの歓喜の歌で・・・はじめたいんだ。」と言っていたように、これからはじめようとしている告白の前奏曲のようなものです。

シラーの『歓喜の歌』は、ベートーヴェンの第九の歌詞として使われているので有名ですね。

しかし、第九では、ベートーヴェンの創作が入っていますのでかなり違うものになっています。

シラーの詩作品「自由賛歌」(Hymne à la liberté 1785年)がフランス革命の直後ラ・マルセイエーズのメロディーでドイツの学生に歌われており、そこで詩を書き直した「歓喜に寄せて」(An die Freude 1803年)にしたところ、これをベートーヴェンが歌詞として1822年 – 1824年に引用書き直したものとのことです。

また、ベートーヴェンが実際に交響曲第9番ニ短調『合唱付』作品125の第4楽章の歌詞に織り込むにあたって、3分の1ほどの長さに翻案しており、冒頭にバリトン歌手が独唱で歌う“おお友よ、このような歌ではなく…”は、ベートーヴェンが自分で考えたものであり、シラーの原詩にはない。

「ウィキペディア」でシラーの『歓喜に寄せて』は以下のようになっています。

「歓喜に寄せて」
歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての存在は
自然の乳房から歓喜を飲み
すべての善人もすべての悪人も
薔薇の路をたどる

自然は口づけと葡萄酒と 
死の試練を受けた友を与えてくれた
快楽は虫けらのような者にも与えられ
智天使ケルビムは神の前に立つ

神の壮麗な計画により
太陽が喜ばしく天空を駆け巡るように
兄弟よ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
愛する父がおられるのだ

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう

これは、「ドミートリイ」の引用とはかなり違っています。

ドイツ語のロシア語訳がどのようなものであったかわかりませんが、この詩の言わんとするところはわかりますが、詩句は訳とは言えぬくらい違っています。


これでいいのだろうかと思いますが、「ドミートリイ」の引用として書かれていますので、いいのでしょう。


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