「ドミートリイ」はまだまだ会話を続けます。
「だが、詩はもうたくさんだ!つい涙なんぞ流したが、泣かせといてくれ。たとえみんなが笑うような愚かしさだとしても、お前は違うものな。ほら、お前だって目がかがやいているじゃないか。詩はもういい。今度はお前に《虫けら》のことを話したいんだよ、神に情欲を授けてもらったやつらのことをな。
情欲は虫けらに与えられたもの!
俺はね。この虫けらにほかならないのさ、これは特に俺のことをうたっているんだ。そして、俺たち、カラマーゾフ家の人間はみな同じことさ。天使であるお前の内にも、この虫けらが住みついて、血の中に嵐をまき起すんだよ。これはまさに嵐だ、なぜって情欲は嵐だからな、いや嵐以上だよ!美ってやつは、こわい、恐ろしいものだ!はっきり定義づけられないから、恐ろしいのだし、定義できないというのも、神さまが謎ばかり出したからだよ。そこでは両端が一つに合し、あらゆる矛盾がいっしょくたに同居しているからな。俺はひどく無教養な人間だけれど、このことはずいぶん考えたもんだ。恐ろしいほどたくさん秘密があるものな!地上の人間はあまりにも数多くの謎に押しつぶされているんだ。この謎を解けってのは、身体を濡らさずに水から上がれというのと同じだよ。美か!マドンナ(訳注 聖母マリヤのこと)の理想から出発しながら、最後はソドム(訳注 古代パレスチナの町。住民の淫乱が極度に達し、天の火で焼かれた)の理想に堕しちまうことなんだ。それよりもっと恐ろしいのは、心にすでにソドムの理想をいだく人間が、マドンナの理想をも否定せず、その理想に心を燃やす、それも本当に、清純な青春時代のように、本当に心を燃やすことだ。いや、人間は広いよ、広すぎるくらいだ、俺ならもっと縮めたいね。何がどうなんだか、わかりゃしない。そうなんだよ!理性には恥辱と映るものも、心にはまったくの美と映るんだからな。ソドムに美があるだろうか?本当を言うと、大多数の人間にとっては、ソドムの中にこそ美が存在しているんだよ-お前はこの秘密を知っていたか、どうだい?こわいのはね、美が単に恐ろしいだけじゃなく、神秘的なものでさえあるってことなんだ。そこでは悪魔と神がたたかい、その戦場がつまり人間の心なのさ。もっとも、人間てのは、痛むところがあると、その話ばかりするもんだ。それじゃ、いよいよ本題に入ろうか」
「ドミートリイ」は自分は情欲を与えられた虫けらであり、カラマーゾフ家の人間はみんなそのような虫けらが心に住みついていて、情欲が嵐を起こすのだと言っています。
それから、いきなり美の話になります。
「ドミートリイ」はこう言っていました。
「まさにそういう屈辱的な状態で堕落するのこそ本望だ、それをおのれにとっての美と見なすような人間だからなんだ。」
つまり、「ドミートリイ」にとっての美ということですが、この美は普遍性があるのでしょうか。
もしかりに、あなたにとって美とは何ですかと聞かれればどう答えればいいのでしょうか、そんなことを考えます。
「ドミートリイ」の心の中は坩堝のようですね。
マドンナの理想とソドムの理想、理性と心、美と恥辱、悪魔と神が入り混じっています。
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