六 スメルジャコフ
「アリョーシャ」は「ドミートリイ」の予想通り「フョードル」がまだ食卓についているところに行き合わせました。
家には正式の食堂もありましたが、いつもの習慣で食卓は広間に用意されていました。
広間は家じゅうでいちばん大きな部屋で、なにやら思わせぶりな古めかしい調度を配してありました。
椅子セットは白塗りの年代物で、古ぼけた赤い羽二重縞の布が張ってありました。
羽二重縞 (ハブタエジマ)とは、ガス糸に絹糸をまぜて織った縞織物とウィキペディアに書かれています。
そして、ガス糸とは、主に木綿糸をガスの炎の中を高速度で通過させ、表面の毛羽(けば)を焼き取って滑らかで光沢のある糸にしたもので高級綿織物用とのこと。
また、羽二重とは、平織りと呼ばれる経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に交差させる織り方で織られた織物の一種。絹を用いた場合は光絹(こうきぬ)とも呼ばれる、通常の平織りが緯糸と同じ太さの経糸1本で織るのに対し、羽二重は経糸を細い2本にして織るため、やわらかく軽く光沢のある布となる。 織機の筬の一羽に経糸を2本通すことからこの名がある、白く風合いがとてもよいことから、和服の裏地として最高級であり、礼装にも用いられる、日本を代表する絹織物であり『絹のよさは羽二重に始まり羽二重に終わる』といわれるとのこと。
窓と窓の間の壁には、古めかしい彫刻のごてごてした、これも白と金色の枠におさめられた鏡がはめこんでありました。
もはやあちこち破れている白い壁紙を張った壁には、二つの大きな肖像画がひときわ目につきました。
一つは三十年ほど前、この地方の軍管区司令官だった、何とかいう公爵の肖像画で、もう一つはこれもずっと以前に死んだ、さる僧正の絵でした。
正面の隅には聖像画がいくつか飾られ、寝る前にはその前に燈明がともされました。
・・・それは、敬神の念からというより、むしろ、寝るにあたって部屋を明るくしておくためでした。
「フョードル」は毎晩、寝床に入るのが非常に遅く、朝方の三時か四時でしたが、それまではいつも、ずっと部屋の中を歩きまわったり、肘掛椅子に腰かけたりして、考えごとをしているのでした。
「フョードル」はそういう習慣を作り上げたのでした。
召使を離れにさがらせて、母屋に一人で寝ることも珍しくありませんでしたが、たいていの場合は、召使の「スメルジャコフ」が夜は母屋に残って、玄関の長持の上で寝ることになっていました。
「フョードル」の家の間取りはよくわかりませんが、全体的にいえば、もう盛りを過ぎた古い遺物の中で暮らしているようです。
それにしても、寝るのが朝方の三時か四時ということは、時代から考えても年齢からもちょっと異常ではないでしょうか。
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