2017年3月17日金曜日

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間もなく、「マルファ」と「グリゴーリイ」が、突然「スメルジャコフ」に何やらひどい潔癖さが少しずつ現れてきたと、「フョードル」に報告しました。

スープを飲むとき、匙をとってしきりにスープの中を探ったり、かがみこんでのぞいたり、匙ですくって光にかざしてみたりするというのです。

「油虫でも入ってるのかい?」と、しばしば「グリゴーリイ」はきいてみました。

「蠅じゃないかね」と「マルファ」が注意します。

きれい好きな青年は決して返事をしなかったが、パンでも肉でも、食べものにはすべて同じことが起りました。

フォークで一片を光にかざして、顕微鏡でものぞくようにしげしげと眺め、永いこと決めあぐんだ末に、やっと意を決して口に運ぶのでした。

「どうだい、たいそうな若旦那ぶりじゃねえか」と、それを見て、「グリゴーリイ」はつぶやくのでした。

「フョードル」は、「スメルジャコフ」の新しい一面をきくと、ただちに彼をコックにすることに決め、モスクワへ勉強に出しました。

数年を勉強ですごしたあと、彼はすっかり面変りして戻ってきました。

急に何か並みはずれて老けこみ、年にまるきり似合わぬほど皺が多くなり、顔色も黄ばんで、去勢された男みたいになってしまいました。

精神的にはモスクワへ発つ前とほとんど同じでした。

相変らず人ぎらいで、だれとの交際もまったく必要を感じませんでした。

あとで伝えられた話によると、モスクワでもずっとだんまりだったといいます。

モスクワそのものも、極端なくらいほとんど興味をひきませんでしたので、町のこともごくわずかしか知らず、ほかのものにはすべて注意を払いませんでした。

一度だけ劇場に行ったことがありましたが、むっつりと不満そうな顔で帰ってきました。

その代り、モスクワから帰ってきたときには、小ぎれいなフロックにシャツという、りゅうとした服装で、服には必ず毎日二回ずつ、ひどく念入りに自分でブラシをかけ、子牛の鞣革のハイカラな長靴をイギリス製の特別な靴墨で、鏡のように光るまで磨きあげるのが、おそろしく好きでした。

コックとして彼は優秀であることがわかりました。

「フョードル」は給料を定めてやりましたが、その給料を「スメルジャコフ」はほとんど全額、衣服やポマードや香水などに使ってしまうのでした。

しかし、彼は女性を、男性と同様、軽蔑しているらしく、女性に対してはきちんとした、ほとんど近寄りがたいほどの態度をしていました。

「フョードル」はやや別の観点から彼を眺めるようになりました。

つまり、癲癇の発作がますますはげしくなり、そういう日には「マルファ」が料理を作るのですが、それが「フョードル」にはとんと口に合わないのです。

ここで言っている「スメルジャコフ」の潔癖症は、思春期に一時的に起こることがあると思いますが、その現れ方は人によって違います。

そんなことを大人になってもしっかりと覚えている人もいれば、すっかり忘れてしまっている人もいるでしょう。

自分でその経験を意識化していなければこのようなことは書けないと思いますね。

そして、おそらく「フョードル」は覚えている人だと思います。

彼は、そのことを聞くと「スメルジャコフ」をコックの修行にモスクワに行かせます。

これはなかなか賢明な判断です。

しかし、「フョードル」の期待に反して、「スメルジャコフ」はこの大きなチャンスに大した成長はしなかったようです。

もともとの人間嫌いというか、人間不信が彼の根っこにあるからでしょう。

ただ、おしゃれだけは身につけたようですが、これも他者を意識してするのではなく、自己満足に終わってしまっています。

「フョードル」はやや別の観点から彼を眺めるようになったと書かれていますが、これは、もう「スメルジャコフ」の精神的、性格的なことはどうしようもないと思ったからで、料理のうまさだけに注目して彼を見ようとしたのです。


料理というのは他人の味覚の中に入り込まなければ、うまくできないと思いますが、他人の気持ちなどいっさい考えない「スメルジャコフ」の料理が「フョードル」の味覚に合うというのは、それはふたりが肉親として共通するところがあることを暗示しているようにもみえます。


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