「人でなしよばわりは、しばらくお控えください、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ」冷静な、控え目な態度で、「スメルジャコフ」が反論しました。
「それより自分で考えてごらんなさい、もしわたしがキリスト教の迫害者の捕虜になって、神の御名を呪うことや、神聖な洗礼を否定することを強要されたとしたら、わたしは自分の分別でそれを決める完全な権利を持っているんですよ、なぜってこの場合どんな罪もないんですからね」
「それはさっき言ったじゃないか、くどくど言わずに、論証してみろ!」と「フョードル」が叫びました。
「フョードル」は読者の言いたいことを代弁してくれていますね。
「田舎コックのくせに!」と「グリゴーリイ」がさげすむようにつぶやきました。
まったく、「グリゴーリイ」はどうしようもありませんね。
しかし、召使の長としての役割がそうさせているのでしょう。
それに対して、「スメルジャコフ」も負けてはいません。
「田舎コックよばわりも、しばらくお控えください。そう罵らずに、自分で考えてごらんなさいよ、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ。だって、わたしが迫害者たちに『いいえ、わたしはキリスト教徒じゃありません、自分の本当の神を呪っているんです』と言うやいなや、そのとたんにわたしは特に最高の神の裁きによって、ただちに呪われた破門者にされ、まるきり異教徒と同じように神聖な教会から放逐されてしまうんですからね。それこそ、言葉を口に出したとたんどころか、言おうと考えるやいなや、その瞬間にですよ。たから、わたしが放逐されるのに、四分の一秒とかかりゃしないんです、そうでしょうが、グリゴーリイ・ワシーリエウィチ?」
実際にはもっぱら「フョードル」の質問にだけ答え、自分でもそれをよく承知しているくせに、いかにもそれらの質問を発したのが「グリゴーリイ」であるかのようなふりをしながら、彼は露骨に満足の色を示して「グリゴーリイ」に向かって言いました。
作者、いや語り手はここでも読者の気持ちを代弁しています。
「スメルジャコフ」の言いたいことは、信と不信の境界のことだと思います。
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