「スメルジャコフ」は言いました。
「もしわたしがキリスト教徒でなければ、迫害者たちに『お前はキリスト教徒なのか、そうじゃないのか』と質問されたときにも、つまり嘘をつくことにはならないわけですよ、なぜって、わたしがそう考えただけで、まだ迫害者たちに口をきかぬうちに、神みずからの手でわたしはキリスト教徒の資格を剥ぎとられてしまっているんですからね。そこで、すでに資格を剥ぎとられているとしたら、いったいどういうわけで、どんな正義にもとづいて、あの世へ行ってから、信仰を棄てたことに対してキリスト教徒と同じように、責任を問われなけりゃいけないんですか、実際には信仰を棄てる前に、そう考えただけで、わたしは洗礼を剥奪されてしまっているというのに?わたしがすでにキリスト教徒でないとしたら、つまり、キリストを棄てることもできないわけです、だってそうなれば棄てるものもないわけですしね。グリゴーリイ・ワシーリエウィチ、異教徒のタタール人がたとえ天国に行ったとしても、その男がキリスト教徒として生れてこなかったことに対して、責任を問おうとする者なぞいませんし、一匹の牛から皮を二枚剥ぐわけにいかないってことは、だれだって承知してますから、そのことに対して罰を与えようとする者もいませんよ。それにまた、全能の神ご自身にしても、タタール人が死んでから、かりに責任を問うことがあるとしても、異教徒の両親から異教徒の子供が生れたからといって、それは本人の罪じゃないと判断なさって、まあ、まるきり罰しないわけにもいかないでしょうから、何かごく軽い罰を与えることでしょうよ。いくら主なる神でも、むりやりタタール人を捕えて、この男はキリスト教徒だったなどと言うわけにはいかないでしょう?そんなことすりゃ、全能の神がまったくの嘘をつくことになりますからね。天と地の主たる全能の神が、たとえたった一言なりと、嘘をつくわけにもいかないでしょうが?」
これは、つまり、キリスト教徒→不信の念が生まれる→非キリスト教徒→迫害者に問われる→非キリスト教徒と答える→生き延びる→寿命を全うする→あの世でも責任を問われない、ということです。
そして、これは、キリスト教徒も不信の念が生まれた時点でタタール人と同じだということです。
不信の念が生まれたキリスト教徒は寿命を全うするまで神の存在を否定して生きなければなりませんので、これはこれで大問題だと思いますが。
「タタール人」とは、「ヴォルガ・タタール人は、タタールスタン共和国を中心に、ロシア連邦の各地に住む民族である。統計上の総人口はおよそ550万人で、ソ連崩壊後のロシアにおいてロシア人に次ぐ第2位の人口を有する。ただし、統計上、クリミア・タタール人以外のタタール人はみなヴォルガ・タタール人と同じ「タタール人」として計上しているためヴォルガ・タタール人単独の数値ではない。タタールスタン共和国の人口380万人のうち、50%強がタタール人で、タタールスタンはロシア連邦の非ロシア系民族の国の中では特に高い経済力、政治的発言力を持つ有力な連邦構成主体である。タタール人はスンナ派のムスリムを主体とする。形質的にはまったくのコーカソイドで、外見でロシア人との見分けをつけることは外国人には難しい。」とのことです。
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