「グリゴーリイ」は呆然となり、目を剥いて弁士を見つめていました。
そして、言われていることはよくわからなかったけれど、わけのわからぬこれらの言葉からふいに何事かをさとり、壁にいきなり額をぶつけた人間のような顔つきで絶句しました。
「フョードル」はグラスを干し、甲高い笑い声を張りあげました。
「アリョーシカ、アリョーシカ、どうだ!いや、お前ってやつは、詭弁家だよ!こいつはどこかイエズス会にでも行ってきたんだな、イワン。まったく、悪臭芬々たるイエズス教徒め、いったいだれに教わったんだ?しかし、お前の言ってることは嘘っぱちだぞ、詭弁家め、でたらめさ、でたらめだとも。泣くな、グリゴーリイ、こんなやつは俺たちが今すぐ木端微塵に打ち破ってやるさ。おい、驢馬、答えてみろ。かりに迫害者たちの前でお前が正しいとしても、やはりお前は心の中でみずから信仰を棄てたわけだし、自分でも言っているとおり、その瞬間に呪われた破門者になっちまったんだ。破門者になった以上、やはり地獄に行ってから、破門された褒美に頭を撫でちゃくれんだろうよ。その点をどう思うんだい、立派なイエズス教徒はさ?」
「フョードル」のこの説明はなるほどと思いました。
つまり、「スメルジャコフ」の言っていることは第三者的な理屈であり、キリスト教徒としては棄教と同時に破門者ということで、すでに立ち位置が最初から違っているのです。
「イエズス会」について、ネットで調べてみましたが、いろいろな見方があり、統一されて簡潔にまとまった記述がみあたりませんでした。
その中で比較的わかりやすくまとめられていると思う説明を以下に転記します。
「対抗宗教改革の一つの運動体。1534年、ローマ教皇への服従を誓い、プロテスタントに対抗してカトリックの世界布教を目指す修道会。ローマ教皇への絶対服従、神と教皇の戦士として伝道に努めることを使命として、1534年にイグナティウス=ロヨラ(スペイン人)らによって結成された修道会。「イエズス会」というのは「イエス=キリストの伴侶」という意味で、「ジェズイット教団」ともいう。日本では「耶蘇会」と言われる。1540年に教皇パウルス3世から認可を受け、対抗宗教改革の先頭に立って、活動を開始した。まずドイツ国内のプロテスタント地域でのカトリックの復興が進められ、ついでアメリカ新大陸、アジアなどの新天地での積極的なカトリックの布教活動を行った。その一環として、フランシスコ=ザビエルは日本伝道を行った。はじめて中国伝道を行ったマテオ=リッチなどもイエズス会員であった。18世紀の中頃まで積極的な海外布教を展開したが、その間、他の修道会との対立(中国における典礼問題など)、絶対主義諸国の国家政策との対立などから問題が生じ、1773年には教皇クレメンス14世によって解散させられた。その後、1814年に再興され、歴代教皇の保護のもと、組織を拡大し、最大の修道会となった。イエズス会の中心思想はロヨラの提唱する『霊操』(宗教的真理に達するための瞑想)にもとずく会則のもと、徹底した教皇への服従と、軍隊的な規律であったと言われる。また布教にあたっては、子供の教育や女性を通じて自然に信仰心を育てるという手段を重視し、各地に学校を設立した。〈Episode カトリックの「新撰組」〉(引用)ロヨラは、あくまで旧教会内の粛正と旧教会の権威の宣揚とを目的とし、新教に対抗するための旧教会の有力な《新撰組》の発案者ないし頭目として登場し、厳格な組織を持つイエズス会を組織するのに成功した。しかし、イエズス会の組織活動は、現世的な権力を掌握することに熱を見せすぎ巧妙でありすぎるという非難を受けかねなかった。フランス語辞書でイエズス会 Jesuite という語を引くと《偽善者・猫かぶり》という意味も出てくる。つまり、イエズス会士が「本心を隠蔽すること」を堅く守ることから生まれた悪口のようである。<渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』 岩波文庫 p.287-288>」
「スメルジャコフ」は言います。
「心の内でみずから棄教したことは、疑う余地もございませんが、それでもべつに特別の罪にはなりませんですね。かりに罪があるとしても、ごく当り前の罪ですよ」
「ごく当り前とは、どういうことだ!」
この発言は「フョードル」でしょうか、それとも「スメルジャコフ」でしょうかわかりません。
「嘘をつけ、罰当たりめ!」と「グリゴーリイ」がかすれ声でわめきました。
0 件のコメント:
コメントを投稿