「兄さん、もう一つ質問していいですか。どんな人でも、ほかの連中を見て、そのうちのだれは生きてゆく資格があり、だれはもう資格がないなんて、決定する権利を持ってるものでしょうか?」
「何のために、資格の決定なんてことを持ちだすんだい?その問題はたいていの場合、資格なんぞという根拠じゃなく、もっと自然なほかの理由にもとづいて、人間の心の中で決められるんだよ。それから、権利という点だけれど、期待する権利を持たぬ人間なんているもんかね?」
この「アリョーシャ」の質問は、人が人を裁くことができるかということ、また、人が人の優劣をつけることできるかということですが、「イワン」の答えは人はそうすることが自然であり、内心は自由だと言っています。
「でも、他人の死をじゃないでしょう?」
「他人の死だってかまわんだろう?あらゆる人間がそんなふうに生きている、というよりそれ以外に生きていかれないとしたら、何のために自分に嘘をつく必要があるんだい?そんなことをきくのは、俺がさっき『二匹の毒蛇が互いに食い合いをやる』なんて言ったからだな?それなら、お前にきくがね。お前は、俺もドミートリイと同じように、イソップ爺の血を流す、つまり、親父を殺すことのできる人間だと思ってるのかい?」
「アリョーシャ」が「イワン」に聞いているのは、他人に対してどう思おうが自由だとしても、他人に死ねと思うことはおかしいのではないかということです、つまり程度の問題なのですが、「イワン」は論理的にその違いはないと考えています。
そして「イワン」は人間というものはだれでも他人を判断し優劣をつけ生きていくものだから、そのことを隠す必要はないと言っています。
「二匹の毒蛇」の話は関連性がよくわかりませんが、これは「イワン」が二人を見下していて、そのことを「アリョーシャ」が批判しているように思えたから自分と「ドミートリイ」が同じように思っているのかと聞いたのでしょうか。
「なんてことを、兄さん!そんなこと、一度だって考えたことはありませんよ!それにドミートリイ兄さんだって、僕はそんな人とは・・・」
「それだけでもお礼を言うよ」と、「イワン」が苦笑しました。
「おぼえといてくれ、俺はいつだって親父を守ってやる。ただ、その場合も、自分の希望の中には十分な余地を確保しておくがね。それじゃ、また明日な。俺を非難したり、悪党のように見たりしないでくれよ」と、微笑をうかべて彼は付け加えました。
ここの「自分の希望の中には十分な余地を確保しておくがね。」という発言の意図は何でしょう、「イワン」の「希望」というのは、恐ろしい内容の内心のことでしょうか。
二人はそれまでかつてなかったほど、固く握手を交わしました。
「アリョーシャ」は、兄が自分のほうから先に一歩あゆみよったのを感じ、それが何かのために、必ず何らかの意図をもってなされたにちがいないと感じました。
さらにわからないのは「アリョーシャ」が「イワン」について感じたこと、つまり「イワン」が「アリョーシャ」に近づいてきた「意図」は何かということです。
また、「イワン」は勝手に「それじゃ、また明日な」と言って、明日「アリョーシャ」と会うのを当然なことと思っています。
それにしても「アリョーシャ」は、孤立している「フョードル」「ドミートリイ」「イワン」の三人からそれぞれ自分の味方になるように引っ張られていますね。
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